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大阪桐蔭かPL学園か 藤浪晋太郎は高校進学の際、「甲子園に出場するだけでなく、先も考えて...」2校で迷っていた (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 メジャー関係者へ向けたアピールの場であったが、状況をすぐに受け入れ、約1カ月を過ごした。

 アメリカでの2年、まだ確固たる結果を残せていないが、異国での暮らしを表情豊かに語る姿からは、成績とは別のところで多くのものを経験し、たくましさと人としての魅力が伝わってきた。

 昨年末に帰国した際、澤田圭佑(ロッテ)や白水健太ら大阪桐蔭時代のチームメイトに加え、2012年に甲子園春夏連続決勝で戦った光星学院(現・八戸学院光星)OBで、藤浪とは阪神でチームメイトだった北條史也も参加して、ゴルフや食事を楽しんだ。そして年が明かると、大阪桐蔭の練習グラウンドへと向かった。

「西谷(浩一)先生とも、特にこれっていう話はしてないですけど、選抜に出られないのが6年ぶりなので、夏に向けて一からやり直すって感じで言われていました」

 訪問時の空気を伝えつつ、「あらためて」といった口ぶりで続けてきた。

「今の大阪桐蔭は甲子園に出て当たり前、勝って当たり前と見られますからね。自分たちの頃とは違って、選手たちも大変だと思いますし、すごいチームになりました。そもそも今の大阪桐蔭なら、自分は入れていなかったと思います。実際、中学の時も大阪桐蔭から熱心に誘われたわけではなかったですし、西谷先生も『縁があれば......』というくらいの感じだったと思います」

 そんなすごいチームへの大きな流れをつくったのが、藤浪がエースとして君臨した2012年の春夏連覇。

 あらためて、藤浪はどのような経緯で大阪桐蔭に入ったのか。

【エリートではなかった中学時代】

 藤浪は小学2年の時に父が指導を務める軟式野球チームの竹城台少年野球クラブに入団。小6になると、エースで4番として活躍。中学になると硬式のクラブチーム・泉北ボーイズに所属した。中学3年になる頃には評判が広がり、関西圏にとどまらず、高校野球関係者の興味をひく選手になっていた。ただ本人は、進学先を考える際に明確な基準を持っていた。

「甲子園に出場するだけでなく、先も考えて......大阪のどちらかに行きたいと早くから思っていました」

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