2008年夏の甲子園で通算打率5割5分2厘 大阪桐蔭の不動の1番・浅村栄斗は強打でチームを日本一に導いた

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

プロ野球選手の甲子園奮戦記(10)〜浅村栄斗(楽天)

 2008年の夏は、大阪桐蔭が1991年の初優勝以来、2度目の全国制覇を果たした夏である。超高校級の二刀流・中田翔(中日)が抜けたあとのチームは、前年秋の大阪大会準々決勝でPL学園にコールド負け。そこから大きな悔しさをバネに成長し、翌夏には全国の頂点に立った。まさに、高校野球の魅力を体現したチームと言っていい。

不動の1番打者として全国制覇の立役者となった大阪桐蔭・浅村栄斗 photo by Sportiva不動の1番打者として全国制覇の立役者となった大阪桐蔭・浅村栄斗 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る

【大阪大会でチームの窮地を救った好守】

 そんなチームをプレーで引っ張ったのが、1番・ショートの浅村栄斗だった。

 1年前の2年時の夏も背番号14のセカンドで出場し、エース中田のバックを守り、打撃でもシャープなスイングで高打率を残した。しかし、甲子園にはあと一歩届かず、秋の新チームからは当初3番を打った。しかし、西谷浩一監督の「彼の積極性が、より生きる」という判断で、翌春からは1番。この起用がはまった。

 攻守で輝いた2年時の夏の浅村を思い出すと、今も甲子園の活躍より先に浮かんでくるあるシーンがある。それが3年時の北大阪大会準決勝の箕面東戦だ。

 延長10回、奥村翔馬のサヨナラアーチで大阪桐蔭が勝利した一戦の9回表、箕面東の攻撃。スコアは1対1、二死二、三塁で相手打者の放った打球は大きく弾み、ショートの浅村の前へ。ワンプレーで夏の行方が決まるという緊迫した場面。守っている側とすれば、なんとも難しい打球だった。

 ところが浅村は、シートノックを受けているかのように迷いなく前へ出てくると、難なくショートバウンドで捕球すると、一塁へお手本のようなストライク送球。一塁塁審のジャッジを確認する前に、西谷監督らが待つ一塁ベンチへ颯爽と走り出していた。

 プレッシャーとは皆無のようなプレーからは、それまで積み上げてきた豊富な練習量と、この男の持つ桁違いの勝負度胸といったものがヒシヒシと伝わってきた。

「守りでも攻める」

 西谷監督がよく使うフレーズだが、この教えを最も体現したプレーヤーのひとりが浅村だった。

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プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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