前田健太はPL学園1年夏から甲子園を経験 高校野球ファンは「桑田真澄二世」と呼んだ (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

 前年夏の甲子園メンバーが6人残り、チーム打率3割8分8厘の攻撃力で西東京を制した日大三相手に、1年生右腕が真っ向勝負を挑む。初回から毎回ランナーを背負いながら無失点で切り抜けていたが、4回につかまってしまう。

 無死一、三塁からスクイズで同点とされると、なおも一死二、三塁から逆転スリーベースを打たれた。この時、前田はマウンド上での自分を振り返ろうとしても「よく覚えていない」と、本心を打ち明けている。

「『あんまりいいピッチングができなかったな』って、それだけでしたね。予選ではいい緊張感を持って投げられていたんですけど、甲子園ではずっとふわふわしていたというか、体が宙に浮いているような感じで投げていたというか......。知らん間に終わっていたって感じで」

 結局、前田は5回を投げ、8安打、3失点。6回から継投したエースナンバーの中村圭も、終盤に日大三の猛攻に遭いPL学園は5対8で敗れた。

 ほろ苦い甲子園デビューとなった1年生の夏。「ふわふわした感じ」を教訓とした前田は、「次に出たら思い切り投げることを意識しよう」と胸に誓い、甲子園をあとにした。

 そして、3年生となった06年のセンバツ。背番号「1」をつけ「プロ注目」の投手として甲子園に戻ってきたエースの前田は、初戦の真岡工戦で16奪三振の快投を見せるなど、3試合連続完投を演じ、チームをベスト4へと導いた。

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前田健太(まえだ・けんた)/1988年4月11日、大阪府生まれ。PL学園で2度甲子園出場し、2006年高校生ドラフト1巡目で広島入団。2年目の08年に9勝を挙げると、4年目の10年に15勝で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を獲得し、沢村賞にも輝く。12年4月6日DeNA戦でノーヒット・ノーラン達成。15年も15勝で最多勝に輝き、2度目の沢村賞。同年オフにポスティング移籍でドジャースと8年契約。16年はチーム最多の16勝をマーク。17年は13勝を挙げ、ポストシーズンではリリーフとして活躍。20年2月にトレードでツインズ移籍。21年9月にトミー・ジョン手術受け、23年に復帰。24年からタイガースでプレー

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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