大阪桐蔭「藤浪世代」の25番目の男は議員秘書→経営コンサル→ゼネコンを経て父の会社で新事業を立ち上げた (5ページ目)
【今は野球部のメンバーと会いたい】
さながら実業家の卵といったところだろうか。同級生たちが今の小柳を見ると、さぞかし驚くだろう。「まだプランを描いているだけです」と言うが、そのひと言ひと言に自信がみなぎっている。小柳のなかで、高校野球のトップを走る集団のなかで過ごした時間は、財産としての残っているのだろうか。
「高校時代はやっぱり大きいと思います。あの環境で過ごして、あれだけの経験をしたメンバーには社会に出て戦う武器が2つあると思うんです。1つは日本一、連覇という大きな目標を立てて、そこに挑み実現できたという自信。もう1つは、目標実現に対するプロセスをわかっているという強み。僕は春夏連覇にはまったく貢献できなかったですけど、チームメイトの姿を間近で見られたこと、成功した集団のなかに身を置いて学べたことは得難い経験でした」
あの連覇から時が流れ、12年前は複雑な気分で見つめたセンバツ大会が今年も始まった。大阪桐蔭の試合は見るのだろうか。
「有給を消化しながら時間はあるので、引っ越しの準備をしつつ、テレビの前で応援すると思います。予定では3月末が引っ越しなので、その頃に決勝で戦ってくれていたらいいですね。頑張ってほしいです」
大学時代に二度、野球部の同期会に顔を出したことがある。気乗りはしなかったが、東京から大阪へ向かい参加したという。
「正直、あまり行きたい感じではなかったんですけど、逃げたくない気持ちが強かったんだと思います。逃げずに向き合わなきゃいけない。そんなことを思いながら大阪へ行った気がします」
またいつか野球部のメンバーに会いたいかと尋ねると、小柳は即答した。
「今はみんなと会ってみたいです。今回もこの取材の話をいただいて、すごくうれしかったんです。まさか僕がこういう取材を受けるとは思わなかったんですけど、おかげで水本(弦)とも久しぶりに連絡が取れて話せましたし、平尾(奎太)ともLINEで『最近どうなの?』みたいなやりとりができました。みんな仕事を頑張っていることもわかったし、またみんなと会って話をしたいですね。機会があれば、一緒に仕事もしてみたい。そんなことを思っています」
いつの時か、25人の同級生たちと顔を合わせることを楽しみに......新天地で迎える春、かつて"25番目の男"だった小柳宜久の新たな挑戦が始まる。
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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