大阪桐蔭「藤浪世代」の25番目の男は議員秘書→経営コンサル→ゼネコンを経て父の会社で新事業を立ち上げた (3ページ目)
次の転職先はいわゆるゼネコンで、総合建設会社の住協建設。現場監督として、マンション建設のための大工や左官職人の手配など、施工管理をおもな仕事とした。じつは、小柳の父は広島で建設会社を経営。この時点であとを継ぐプランはなかったが、建設関係の仕事に携わるなかで、徐々に考えが整理されていった。
「いつか会社を経営したいという、漠然とした思いは持ち続けていて、そこを考えるとゼロから起業するより、実家の会社を母体として事業を拡げていくほうが効率的だと思うようになっていました」
そうした事業モデルがあることは早くから理解しており、興味を持っていた。
「"ベンチャー型事業承継"という言葉があって、実家のビジネスを継いでそのまま拡大させるのではなく、今ある会社を活用しながら新規事業に挑戦していく。建設会社でも、たとえば不動産業務を絡めて、飲食店の居抜き物件を自分たちで仕入れてリフォームする。それを飲食店の経営を望んでいる会社や人に提供するか、もしくは自社で店舗経営までやってもいい。そういうことを考えると、頭のなかで一気にプランが広がっていったんです」
目標が明確になると、即行動に移したくなるタイプである。ある時、自分なりの経営プランをまとめると、実家へ出向き、父を前に熱っぽく語ったことがあった。今後、この会社をどうしていくのがいいのか。将来、もし自分が会社を継ぐとしたら何をすればいいか。即席でのいわばプレゼンは、2時間にも及んだという。
経営者の視点に立って語る小柳のなかには、ひとつの芯がある。ロータリークラブの活動を通して出会った若手経営者や、船井総研ロジでクライアントとして関わった社長たちから学んだ理念だ。
「仕事はお金儲けだけが目的じゃなく、人を幸せにすることが大事だということです。会社経営がうまくいけば、社会がよくなり、その周辺で働く人の暮らしも豊かになる。僕が将来的に会社経営の先に目指しているのは、一人ひとりがなりたい自分になれる社会の実現です。こういう話の時に僕は職業奉仕という言葉を使うのですが、職業を通じて社会に奉仕して、奉仕した先の最終目的がなりたい自分になれる社会をつくること。そのためにどんなビジネスがいいか、どんな会社がいいか......常にここを頭に置いて考えています」
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