大阪桐蔭「藤浪世代」の25番目の男は議員秘書→経営コンサル→ゼネコンを経て父の会社で新事業を立ち上げた (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

 大学卒業時には、1年の就職浪人も経験。このあたりから、小柳の人生はダイナミックに動き始める。世間では、秋に衆議院議員総選挙が行なわれた年だ。学生時代から政治に興味を持ち始めていた小柳に、知人から声がかかった。

「広島で立候補する候補者の選挙を手伝ってみないか」

 当時は時間もあり、知らない世界への興味も湧いた。二つ返事で了承すると、選挙を手伝った議員が当選。すると、期間中の働きぶりが評価されたのか、今度は秘書として事務所で働かないかと誘いを受けた。23歳で議員秘書となり、議員事務所のある国会議事堂に通う日々が始まった。

 経験豊富な先輩秘書に指導を受けながら、議員の日程調整や必要資料を各省庁に連絡して取り寄せるなど多忙を極めたが、小柳は「知らない世界に触れることが面白かった」と充実の日々を過ごしていた。

【経営コンサル、ゼネコンにも従事】

 ただ長くやるつもりはなく、空き時間には就職活動を再開。翌春には経営コンサルティング会社、船井総合研究所のグループ会社で物流に特化した「船井総研ロジ」に就職。面接で一度は落ちたが、「どうしても入りたい」と電話で直訴。そこから社長面接にまでこぎつけ、逆転での入社を勝ちとった。

 これもなかなかのエピソードだが、船井総研ロジでは大きく分けて3種類の仕事を行なった。

「ひとつは外食チェーンのコスト削減、最適化や戦略面の提案。もうひとつは、トラックのドライバー不足に悩む運送会社の採用の手助けや戦略の提案です。そして福利厚生サービスの一環として給与を社員へ前払いできるシステム"ペイミー"の導入など、新規事業の立ち上げと各企業への営業。ここでの仕事もやりがいがありました」

 順調にキャリアを積んだが、4年で退社。ひとつのことを極めるより、次の目標に向かいたくなるタイプなのかもしれない。

 その一方で、大学時代からロータリークラブ青年部の活動を通じ、各方面の経営者とも積極的に交流。経営への関心が高まるなか、「自分もいつかは......」とその時に備える意味でも、さまざまな分野の仕事を知っておきたいと思うようになっていった。

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