大阪桐蔭「藤浪世代」の25番目の男は議員秘書→経営コンサル→ゼネコンを経て父の会社で新事業を立ち上げた (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

【父の会社で新事業を立ち上げ】

 4月からは広島に戻り、父が経営する「(株)ヒロコウ」へ移る。肩書きは「専務取締役CMO/アトツギ」。"CMO"はチーフ・マーケティング・オフィサーの略で、日本的な表現なら最高マーケティング責任者。カタカナの"アトツギ"は中小企業庁などがブランド化している名称で、家業を継ぎつつ、新しいビジネスを始める"後継ぎ"を指す。

 会社ではどういった動きから始めていくのか。

「社内ベンチャーのような形で新しく事業部を立ち上げて、建設業界の職人を増やすための採用代行をひとりで始めます。まだ事業部の名称も決まっていませんが、お客さんは同業の建設会社。その会社の採用担当者に代わって、僕が動いて職人を採用していく。採用コンサルティングですね。

 船井総研時代にもトラックの運転手が不足しているということで採用代行をやりましたが、建設業界も職人が業界危機レベルで不足している。仕事はあるのに人がいない状態で、職人が不足していたらいい仕事もできなくなる。そこで人手不足で困っている建設会社を助けながら自社の利益も生み、業界を盛り上げたい。そういう思いで始めていきます」

 ビジネス講座でも聞いているような淀みない語りに、"元大阪桐蔭野球部"のプロフィールを忘れそうになるが、小柳の話はまだまだ続いた。

「やりたいことはほんとにいろいろとあるんです。小学3年の時にじいちゃんが亡くなってからばあちゃんが継いでやっていたラーメン屋も復活させて多店舗展開したいのもひとつ。今は閉店したんですけど、業態は変わっても名前はそのまま復活させたいですね。自分たちの会社で店の内装、リフォームもやって、自社営業の飲食店を持つ建設会社をウリにするきっかけにできればなおいいですし。

 70歳くらいになったら喫茶店もやりたい。昔ながらの小さな喫茶店で、自分が持っているビルの1階でやるのが理想。今の会社はまだまだ小さいですけど、広島では実績、信用もあるので、そこを活用させてもらえば多くの可能性を持っています。

 あとは学校教育にも関わりたい。学校法人をつくるか、専門学校をつくるか......。なりたい自分になれる社会づくりを考えた時、人としての素養といったものは教育に起因する部分が多い。核となる教育をビジネスとして確立させられたら、たとえ僕が死んだとしても、僕が目指した世界を学校というモデルを通じて実現できますから。そして最終的にはファンドを設立したい。チャレンジしたい若い人の夢を実現できるように支援したい。ここまでいきたいです」

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