「本当に甲子園を目指すことが正しいことなのか」強豪校の監督たちが語る指導の変化 (2ページ目)
【「甲子園に行きたくないか」が使えない】
東京都高野連は早々に、優勝チームを決める独自のトーナメントを行なう意向を表明していた。市原監督が3年生を思う気持ちは強い。だからこそ、選手たちを最後まで競争させることにした。
「3年生が『勝ちにこだわりたい』と言ったので、2年生、1年生も入れたベストメンバーで夏の独自大会(東東京)に臨むことに決めました。
僕は、まず『チーム内で競争してほしい』と言いました。そこで負けたら、気持ちを切り替えて"縁の下の力持ち"としてチームを支えてくれと。学年に関係なく、競い合ってレギュラーを勝ち取った人間が試合に出るということで話はまとまりました」
甲子園に出るという目標がなくなったことで、市原には気づいたことがある。
「生徒たちは子どものころからずっと甲子園を目指してきて、甲子園に代わるものはどこにもないということ。大人がどんなことを言っても、やってあげても、あれ以上のものは絶対にありません。
指導者として、かける言葉がなかったというのが正直なところでした。厳しいことを言われないのは生徒にとって寂しいことかもしれないと、あらためて思いました」
全体練習ができない期間は、指導者にとっては我慢の時間だったという。
こんな状況で、本当に練習をしているのだろうか?
やり方を間違えてはいないだろうか?
選手たちの姿が見えないだけに、市原監督には疑問がたくさんあった。
「正直、すべてを任せるのが不安でしたね。だけど、今回は彼らにやってもらうしかなかった。全体練習ができるようになって生徒を見たあと、『勝手に生徒を過小評価していたんじゃないか』と思いました。指導者にとって大事なのは我慢なんだなと教えてもらいました」
監督は黙って見ているだけ。選手たちが自分たちで考え、動くようになればチームは強くなると市原監督は考える。
「そうなるまで、1カ月、2カ月くらい待つことも大切なんだと痛感しました。甲子園がなくなったことは生徒たちにとって本当にショックだったと思います。でも、大人よりも立ち直りは早かったんじゃないかな? 全体練習を再開してから、そう思いました」
もうひとつ、気づいたのが選手との距離感の大切さだ。
「これまで、生徒とのいい距離感をつかむために、『甲子園』という言葉は有効でした。それがなくなったことで、彼らとの距離感、本当の人間関係、選手との信頼関係の大切さがよくわかりました」
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