甲子園で773球→投手生命に終止符。大野倫は強打者としてプロへ進んだ (2ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Kyodo News

 大野は右ひじの異変を誰にも言わず、病院にも行かなかった。痛みから逃れるため、投球練習はせずにひたすら走った。だが、大野のケガを知らないチームメイトは、投球練習をしない大野に不信感を抱くようになる。グラウンドの草刈りの時に、チームメイトから「怠けるな!」と草刈り鎌を持って追いかけられることもあった。

 甲子園をかけた沖縄大会が始まったが、沖縄水産は大野の不振もあって、1回戦は美里工に6対4と苦戦。それ以降も大野の調子は上がらなかったが、打線の奮起もあり、チームは準決勝に進出。対戦相手は強豪・那覇商だった。

「もうどうにもならないと思って、栽先生に『ひじが痛いんです』と言いました。先生もうすうす察知していたようで、お医者さんと相談して、試合前に痛み止めの注射を打つことにしました」

 注射の効き目は抜群だった。ひじの痛みが完全に引いた大野の好投もあって、那覇商を5対1で下す。そして決勝戦の前にも注射を打ち、豊見城南を6対2で破り、沖縄水産は2年連続の夏の甲子園出場を果たした。

 大野は甲子園でも痛み止めの注射を打って投げるつもりだったが、栽は大野に「甲子園では痛くても工夫して投げなさい」と言った。

「栽先生がなぜこう言ったのか真意はわかりませんが、僕の将来のことを案じてくれていたのではないでしょうか。整体師や針、電気、超音波治療など、あらゆる方法をやってくれました」

 新チーム発足時にはもうひとり投手がいたが、腎臓に障害を負って野球を断念した。だから、大野は甲子園でもひとりで投げるしかなかった。

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