愛甲猛が明かす荒木大輔との決勝ドラマ
「女の子の悲鳴はすごかった」 (4ページ目)
川戸がすごく努力しているのは知っていました。弱いチームには打たれるけど、強いチームは抑える不思議なピッチャーでした。甲子園の決勝ではマウンドで声をかけても、まともな日本語で答えが戻ってこないくらいに緊張していましたね。すごく心配したんですが、最後まで早実打線に点を取らせませんでした。
ゲームセットの瞬間、川戸が喜ぶのを見て、最後にキャプテンらしいことができたのかなと思いました。3年間我慢したやつが最後にマウンドに立っているのを見て、「これでよかった」と思いました。
当時の横浜にはヤンチャな選手が多くて、むちゃくちゃ遊ぶけど、それ以上に練習もやりました。練習量がハンパじゃなかった。あのころ、不良の根性がなかったら横浜で野球を続けることは難しかった。勉強ができて真面目な子では無理。だって、理不尽なことしかなかったから。
早実って、そんなに有名じゃないけどいい選手がいるんです。キャプテンの栗林友一なんて野球センス抜群でしたから。僕は彼に投げるの、すごく嫌でしたよ。
早実の選手はユニフォームもスマートだし、プレーの中身もそう見える。うちの選手たちのなかには早実をうらやましく思っているのもいました。セカンドの安西なんか、グラブを叩きながら『紺碧の空』をアルプススタンドの観客と一緒に歌っていたしね。僕も思わず口ずさみそうになりました(笑)。応援団は完全に負けでしたもん。とにかく、横浜が大輔から得点したときの女の子の悲鳴はすごかった。
大輔は1年生だったのでライバルとは思えなかった。でも、一番意識したピッチャーでした。もともと存在を知っていたこともあるし、あの大会で最も注目された選手だったから。
横浜の選手たちも、箕島の次に意識していたんじゃないかな。大輔は1年生だったけど、それを全然感じさせなかった。すごくいいピッチャーでした。本当にクオリティの高い、ね。
荒木大輔のいた1980年の甲子園
7月5日(木)発売
高校野球の歴史のなかでも、もっとも熱く、
もっとも特異な荒木大輔フィーバーの真実に迫る
圧巻のスポーツ・ノンフィクション。
スポルティーバの連載で掲載しきれなかった
エピソードも多数収録されています。
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