愛甲猛が明かす荒木大輔との決勝ドラマ「女の子の悲鳴はすごかった」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

証言で明かす荒木大輔がいた1980年の高校野球

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証言5 愛甲猛

 1980年夏の甲子園、3年生エースの愛甲猛を擁する横浜(神奈川)は優勝候補に挙げられていた。前評判通り、1回戦で全国制覇の実績のある高松商業(香川)を破ったあとも強豪を次々に撃破。準々決勝で夏連覇を狙う箕島(和歌山)、準決勝で天理(奈良)に競り勝ち、早稲田実業との決勝を迎えた。

 早実の1年生エースとして、準決勝まで無失点の快投を続ける荒木大輔が話題を集めていたが、愛甲もまた1年時から甲子園を沸かせた投手だった。荒木の2年前に甲子園の地を踏んだ男が荒木の前に立ちはだかった。

横浜の3年生エースでキャプテンも担った愛甲猛横浜の3年生エースでキャプテンも担った愛甲猛1年生だけど一番意識したピッチャー

 1978年に、僕は1年生で夏の甲子園に出ています。神奈川大会は2回戦から投げましたが、勝っている試合のリリーフが多くて、先発したのは準々決勝から。無心で投げたらポンポンと勝って、気づいたら甲子園にいたという感じでした。その年の横浜にはエースがいなくて、僕にチャンスが巡ってきたんです。本当に運がよかったと思います。

 甲子園で入場行進したときに「すごいところに来たな」と感じました。隣の列が早稲田実業で、川又米利(元中日ドラゴンズ)さんに「緊張しますね」と言ったら、「もう何回も出ているから緊張しない」と返されました。

 甲子園で初めて投げたときには「投げやすい」と思いました。マウンドの傾斜が横浜スタジアムよりなだらかなんですよ。

 僕は試合で緊張したことがなくて、甲子園でもプレッシャーは感じなかった。冷静に投げることができ、2回戦(初戦)は徳島商業(徳島)に勝ちました。3回戦の県立岐阜商業(岐阜)戦の前に、キャッチャーの吉田博之さん(元南海ホークス)に「明日5点取ってください。3点に抑えますから」と言ったんですが、0対3で負けました。その試合で高校時代、最初で最後のホームランを打たれたので、印象に残っています。

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