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長島三奈の熱闘甲子園、「松坂世代」の衝撃! (3ページ目)

  • スポルティーバ編集部●取材・文 text by Sportiva
  • 北川鉄雄●撮影 photo by Tetsuo Kitagawa

  三奈さんの宝物、98年の甲子園の土。「取材者にあるまじきことかな、と思いつつ、私もどうしてもほしくて(笑)。その後、横浜とPL学園の主力選手に集まってもらい、当時を振り返る番組があって、彼らに寄せ書きをしてもらいました」三奈さんの宝物、98年の甲子園の土。「取材者にあるまじきことかな、と思いつつ、私もどうしてもほしくて(笑)。その後、横浜とPL学園の主力選手に集まってもらい、当時を振り返る番組があって、彼らに寄せ書きをしてもらいました」 
 次の準決勝、横浜対明徳義塾もまさにドラマのような試合。前日250球を投げた松坂は先発できず、レフトの守備に。試合は8回表を終わって、6-0で明徳義塾がリード。その裏、横浜が4点を取って逆襲を開始する。 

「攻撃中、ベンチ前でキャッチボールをしてたマツが、右腕にぐるぐると巻かれたテーピングを剥がし始めたんです。もう、あの時のマツはカッコよかったなあ! “遂に来るぞ”と甲子園中がざわめき、拍手が起こり、球場の空気が変わったのがわかりました」

 9回表、ピッチャー松坂がコールされる。そして、ゼロに抑え、その裏、劇的なサヨナラ勝ち。

「その瞬間、一時停止ボタンが押されたように、しばらく時が止まったんです。私はしばらく言葉が出ませんでした。明徳ナインが地面に伏して、まったく動かない。まるで下から何かに引っ張られているような感じ。私は大会後に発売された雑誌を見て、横浜の選手は、ああこんなふうに喜んでいたのか、と知ったんです。サヨナラのシーンはその後も何度も見ていますが、あんなシーンはなかったですね。今もこの試合は見返すことができません」

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