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篠山竜青の今につながる全国ミニバスケットボール大会での記憶 出場できなかったことで「エネルギーをもらえた」

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第一線で活躍するプロバスケットボールプレーヤーの篠山竜青 photo by Noto Sunao(a presto)第一線で活躍するプロバスケットボールプレーヤーの篠山竜青 photo by Noto Sunao(a presto) Bリーグの川崎ブレイブサンダースで通算10シーズン、キャプテンを務める篠山竜青。ポイントガードとして、そしてチームの絶対的司令塔として活躍する篠山は、長きに渡りチームを象徴する存在だ。

 高校、大学での日本一、そしてトップリーグ、日本代表でのチームキャプテン、国際大会への出場と、輝かしい実績を残してきた篠山の原点は、小学生時代のミニバスケットボール。そのミニバスの全国大会「第56回マクドナルド全国ミニバスケットボール大会」が3月28日(金)から31日(月)の4日間、国立代々木競技場第一体育館・第二体育館で開催される。

 彼の礎を築いたその大会の思い出から、バスケットボールで培った人間性、助け合いの精神などについて話を聞いた。

エネルギーをもらえた全国ミニバス大会

――バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。
 
 僕には8学年上の兄と5学年上の姉がいて、兄がバスケットボールを始めるときに母親もアシスタントコーチとして榎が丘ファイターズ(神奈川県横浜市)というチームに関わることになりました。それもあって僕は物心がついたときには、母について体育館にいて、練習を端っこで見たり遊んだりしていました。そのチームに入団したのは小学校3年生のときです。

――当時はどんな練習をしていましたか。

 ファンダメンタルも重点的にやりましたが、結構強いチームだったので、戦術的なこともやりました。全国大会に行って勝ち上がるというモチベーションの高いチームだったなと記憶しています。週4~5日くらいは練習をしていました。

――コーチをされていたというお母さんとはどんな話をしていましたか。

 僕が3年生か4年生のときに、コーチに注意をされて「何を注意されているのかわからない」「バスケットやめたい」と言っていた時期がありました。その当時、母親はチームから離れていたんですが、もう1回現場に戻ってくれて、女子の下級生のコーチングをしながら、横目で男子の練習をチェックしてくれていました。それで家に帰った後に、あのときに言われていたのはこういうことじゃないのと、フィードバックをしてくれたのを覚えています。

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