篠山竜青の今につながる全国ミニバスケットボール大会での記憶 出場できなかったことで「エネルギーをもらえた」 (2ページ目)
小学生時代の篠山。強豪チームでミニバスに励んだ 写真:本人提供――お母さんは何とかバスケットボールを続けてほしかったんですね。篠山選手はその小学生時代にどんなことを学びましたか。
チームには下級生から上級生までいて、そのなかでどうコミュニケーションを取るのかとか、まだできない子にどうやって教えるのかとかをよく考えていました。遠征や移動では、父母会の方ふたりぐらいが引率してくれましたが、あくまで付き添いだけで、基本的にはチームみんなで電車で移動する。そういったところのひとつひとつが社会勉強になっていました。プレーの部分だけではなくて、そういった人間形成の部分、集団行動の基盤みたいなところはミニバスから得られた部分が大きかったと思います。
――全国ミニバスケットボール大会の記憶はありますか。
よく覚えています。4年生のときは県大会の決勝まで進んだんですよ。その前の試合で女子が優勝したので、僕らが勝てばアベックで全国大会出場だったんです。僕は前半だけプレーをしました。試合は結構競り合っていて、あと数秒くらいのところで速攻を許してしまって、ブザービーターで負けてしまいました。だから女子の全国大会を応援しにいきました。そこで男子のプレーも見て、すごく刺激になりましたし、来年こそは絶対に全国大会に行こうというモチベーションが湧きました。
僕が5年生のときは県大会決勝で横須賀のチームと戦いました。相手にはルーツが外国の子供たちが何人もいて、NBAみたいな感じで(笑)。でも僕らは変則的なチェンジングゾーンを駆使して勝って、初めて全国大会に出場しました。
そこから仮想全国大会みたいな練習試合を何度もしていたんですが、そのときに僕は腕を骨折してしまって、結局全国大会には出場できませんでした。ベンチには入れてもらってスコアを書きながら、6年生たちの頑張りを見て、自分もこんなに大きい体育館で大きい舞台でプレーしたかったという悔しい思いがあったのは覚えています。
6年生のときはメンバーが少なかったので、なんとか集めて形にしたんですが、すぐに負けてしまいました。その意味でも小学生時代は自分のバスケットボール人生の分岐点のひとつでした。全国の舞台でプレーできなかったからこそ、そういうエネルギーみたいなものをもらえた大会だったなと思います。現在は「優勝は決めない交歓大会」として開催している「マクドナルド全国ミニバスケットボール大会」
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