震災がきっかけでダンスの道へ。プロダンサーTAKUMIが飛躍的に学業の成績を伸ばせた理由 (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 津島直道●撮影 photo by Tsushima Naomichi

――ご両親はどんな教育方針だったんですか。

「すごいね」とほめられることが多かったですね。「勉強しなさいよ」という言葉はなく、基本的には放任主義で、いろんなことを任せてくれました。ただ自分がブレてしまったり、ダンスばかりにのめり込んでしまった時には、「やることはやったの?」くらいの声掛けはありましたね。「中途半端はダメだよ」というのは、口を酸っぱく言われていた記憶があります。

【友達と一緒に5時間の勉強】

――当時、学校での成績はどうでしたか。

 中学生の時はよかったほうだと思いますけど、そこまで成績は意識していませんでした。ただ県で一番偏差値の高い高校を目指して勉強して、なんとかギリギリで入れた感じです。高校では、親友が医者を目指していて、その親友と一緒に勉強をしていたら、どんどん成績が上がっていきました。親友からいい影響をもらったおかげで、高校3年生の秋の全国模試の国語で県1位をとれました。それで、これは大学受験でも結構偏差値の高いところを狙えるなと思いました。

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――友達とはどのような感じで一緒に勉強していたんですか。

 教え合ったりすることはなくて、勉強時間を一緒に過ごしていました。学校が終わってから、自習室に一緒に行って、5時間くらい勉強をしていましたね。休日は12時間、勉強したこともありました。

 高校時代はダンスの全国大会とか世界大会とかにも出ていたので、どちらかというと、ダンスがメインで、空いている日に友達に誘ってもらって、ずっと勉強していました。僕は勉強の意識もありましたが、すごく勉強が好きなタイプではなかったので、自然と意識がダンスに向いてしまうところはありましたね。

――両立することの大変さは感じませんでしたか。

 それが当たり前になっていて大変だという感覚はなかったです。遊ぶ時間がほしくても、ダンスで世界大会に行きたいとか、早稲田大学に合格したいとか、そういう目標はあったので、そのためにやるべきことをやって、そのあとで遊ぼうと考えるようにしていました。強いて言えば、それが少しつらかったです。

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