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鈴木聡美が語る33歳で現役続行の理由 「まだやんの、私?と思わないわけではない(笑)」 (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

【「あれ、終わりじゃなかったっけ?」】

――集大成と考えていたパリ五輪で、新しい光が見え、「やるしかない」と?

「パリに向かっては、もちろん集大成のような気持ちはありましたし、それこそ失敗してもいいやぐらいの割りきりもあったので、それがプラスに働いた部分はあったと思います。ただ、実際に競技を終えると、次を考えている自分がいて、自身自身も『あれ、終わりじゃなかったっけ?』と調子が狂ってしまい(笑)。そんな感じなので、どこまでやるとか具体的に考えているわけではなく『とりあえず、いまは思いっきりやりますけど......』みたいな気持ちではあるんですけどね」

 高校時代は「無名」に近い存在だった鈴木を、大学入学後から指導してきたのが、山梨学院大学水泳部の神田忠彦監督である。

山梨学院大学で練習を続ける鈴木聡美。神田忠彦監督と photo by Kishimoto Tsutomu山梨学院大学で練習を続ける鈴木聡美。神田忠彦監督と photo by Kishimoto Tsutomuこの記事に関連する写真を見る 鈴木は学生時代から現在まで同大学で練習を続けている。いまでも毎朝5時に起床し、卵かけご飯と納豆をかきこみ、6時半には学生と一緒にプールに入る日々を送っている。そんな鈴木を「不器用を絵に描いたような選手」と評しながら、巧みにサポートしてきた神田監督は、鈴木の状況をどう見ているのだろうか。

「本当は(パリ五輪の)100メートルで決勝に進み、勝負できるかなと思っていました。ただ、予選のあと、私が『もっと大きく泳いで』とか余計なことを言ってしまったことが悪かったのか、前半で遅れ、少し焦りが出てしまった。そういう意味で、決勝に行けていれば、また結果は違ったかなとの思いも残っているんです。

 200メートル決勝は後半が......。隅のコース(8レーン)だったので、思いきり飛び出したうえで、ラスト100メートルは、100から150、150から200をそれぞれ36秒台でいきたかったところが、どちらも37秒台になってしまった。それでも大会を通して体と気持ちのコンディション調整はうまくいっていましたし、ピークに近い状態を保てていたと思っています」(神田監督)

 33歳という年齢もあって、パリ五輪後も現役を続けるという判断は、少なくない驚きを持って報道された。だが、神田監督は、むしろそれが自然で、報じるメディアが古い固定観念に捉われすぎているとした。

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