鈴木聡美が語る33歳で現役続行の理由 「まだやんの、私?と思わないわけではない(笑)」
鈴木聡美インタビュー(2)
競泳女子といえば、1992年バルセロナ五輪の女子平泳ぎ200メートルで14歳の岩崎恭子が金メダルを手にしたように、かつては「10代がピーク」と言われていた。だが、パリ五輪に日本競泳史上最年長の33歳で出場し、4位入賞を果たした鈴木聡美(ミキハウス)は、そんな常識を覆し、いまも母校の山梨学院大学で学生たちと懸命に練習に励んでいる。
現役続行について問うと、鈴木自身「客観的に見れば、『まだやんの、私?』みたいな思いがないわけではない」と笑うが、その判断は極めて自然な流れだったという。
一部のプロ選手を除けば、多くのアスリートにとって、五輪は4年に1度の大舞台であると当時に、選手として大きな区切りとなってきた。出場権を逃した選手が、また一定の成績を残した選手が「4年後の自分を想像できない」と現役を引退するのは五輪後のお決まりの姿でもある。
だが、選手たちが自身のアスリートとしての限界を感じて競技から離れているかといえば、そうでないのも事実。引退の理由はさまざまで、なかには周囲の空気や固定観念に捉われて競技を離れざるを得なくなった選手も少なくない。そういう意味で、競技を続けられる環境があった鈴木にとっては、競技続行は既定路線だったのかもしれない。
――大会前、パリ五輪後のことは「白紙」と話していました。「引退」や「現役続行」ということについて、大会中はどう考えていたのですか。
「正直、私もパリの前は、何か具体的に考えていたわけではないです。ただ、五輪前の合宿中から、どうも監督やトレーナーからは今回が最後という気配はなく、『体も動いているし、続行な』みたいな雰囲気がありまして。もちろん、私的には『えっ?』って感じでしたけどね(笑)。
私が(現役続行を真剣に)考え始めたのは、100メートルの準決勝が終わったあたりですかね。決勝進出は逃してしまったのですが、調子自体は悪くなかったので『まだいける』という思いが出てきたというか......。その後、200メートルでも6年ぶりに2分22秒台が出て、修正次第でまたチャレンジできるかもしれない、と。そして、締めくくりのメドレーリレーで、自分の役割を果たせたうえで、1分5秒台という自己ベストが出せ、決断に至ったという感じです。メドレーリレーで(金メダルを獲得したアメリカの平泳ぎ代表の)リリー・キングのタイムが1分4秒90だったのですが、それくらいなら私も今後の強化次第で狙えるかもと、意欲が沸いてきましたので」
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