飛込・馬淵優佳が振り返る、父・馬淵崇英に初めて反抗した日 現役引退後に父が涙ながらに語った言葉とは (3ページ目)
【実感した「好き」のパワー】
――さきほどのお話のなかで、お父様が反対されたということでしたが、それはどのように反対されたんですか。
父は私が嫌々飛込をやっていたことを知っていたので、寝耳に水みたいな感じで受け取られました。「嘘やろ」「子どもをふたり産んで、4年も競技から離れていてできるのか」「そこまでしてやる必要があるのか」と。それは私の体が心配だというのもあったと思います。
それでも「もうやるから」ときっぱり伝えました。さきほども言いましたが、それが初めて父に貫いた反抗だったんですよ。とても厳しい父でしたし、それに立ち向かおうとも思っていませんでした。その気力すらないような状態で、成績もある程度出ていたので、「これが自分の道なんだ」と受け入れて競技をしていました。
だから父に反抗できた時に、「好き」のパワーってすごいんだなと実感しました。その後は本当に大変でしたが、好きであればこんなに踏ん張れるんだと自分に驚きました。
――二度目の引退の時には、お父様から何か言葉はありましたか。
「よく頑張った」と言っていました。父もこんなに自分が楽しく飛込をやっている姿を見たことがなかったんだと思います。めっちゃ練習をしましたし、自分で言うのも変ですが、父も周りの人も、国際大会の代表争いができるレベルまでもっていけるとは、想像していなかったと思います。
オリンピック出場が叶わなかった後、父から「こんなにできるとは思わなかった。結果ではなく、やってきた自分を認めてほしい」と居酒屋で泣きながら言われました。今思い出すと私も涙が出そうなんですけど。
――お父様も心配されていたんですね。
4年以上ブランクがあったので、ケガをしないかと、本当に心配していたようです。でも過去の自分とは全然違うんですよ。目標に向けて自ら進んでやってるだけ。その気持ちになるのが遅かったですよね。高校とか大学の時だったらよかったのにと思います。心と体が一体になっていればよかったんですが、当時はなかなか難しかった。本当に未熟でした。大人になって当時の環境で練習ができていたありがたみがわかりました。
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