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【パリオリンピック競泳】松下知之が踏み出した栄光への第一歩 競り合いを制し掴んだ400m個人メドレー銀メダルの意味

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

熾烈な2番手争いに競り勝った18歳の松下知之 photo by JMPA熾烈な2番手争いに競り勝った18歳の松下知之 photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る

【狙いどおりの決勝レース】

 パリ五輪競泳競技2日目の7月28日。男子400m個人メドレーでは、前回の東京五輪では予選敗退に終わったリオデジャネイロ五輪の銅メダリスト・瀬戸大也(CHARIS&Co)が、3回目となるオリンピックでどんなリベンジ劇を見せてくれるかに注目が集まっていた。しかし瀬戸は、若き世界王者、レオン・マルシャン(フランス)に挑む姿勢を見せながらも7位に止まった。

 その一方で、今回シニアの代表初選出となった18歳の松下知之(東洋大)が銀メダルを獲得。今大会の日本代表のみならず、「お家芸」としての復活を目指す日本競泳界にとって勢いをつける結果を残した。

 午前中の予選では、昨年の世界選手権で4分02秒50の驚異的な記録をマークしたマルシャンが終始、余裕を持って泳ぎ、4分08秒30でトップ通過。それにマックス・リッチフィールド(イギリス)が4分09秒51、瀬戸が4分10秒92と続くなか、松下は最後の自由形で順位を上げて4分11秒18の全体5位で予選通過を果たした。

 その結果を受けて松下は、「レース前は初めての大舞台で『どうなるかな』という不安もあったが、どの種目もすごく調子がよく、気持ちよく泳げたので、いい感触をつかめた。決勝は、自己ベスト更新は絶対なので、しっかり4分7秒台を狙っていきたい」と明るい表情を見せた。

 松下の自己記録は今年3月の国際大会代表選考会で瀬戸に勝った時の4分10秒04。それでも、東洋大進学後は海外の高地合宿において、「4分6~7秒を出せる練習をしてきた」と自信を持っていたからだ。

 そうしたなか、松下を指導する平井伯昌コーチは予選全体を見て目標とするメダル獲得ラインを4分8秒台と予想。マルシャンが抜きん出ている状況にあって、今季4分07秒64を出しているカーソン・フォスター(アメリカ)や4分08秒71をマークしているルイス・クレアバート(ニュージーランド)らとの争いを想定し、「2~4番手争いが団子状態だが、8秒台であれば(メダルを)獲れるかな」と分析した。 迎えた決勝。2レーンの松下は、最初のバタフライから攻めると予想していた隣の3レーンの瀬戸をターゲットにした。そこで競り勝てば、銅メダルには届くという想定だ。

 ただ、その瀬戸は最初のバタフライこそマルシャンを追いかけて2番手で折り返しが、次の背泳ぎは予選より0秒84遅く、200mの折り返しは1分59秒66。松下は2分01秒13だったが、瀬戸が遅れた分、代表選考会の時よりも瀬戸との差は接近していた。松下が振り返る。

「ラスト150mで瀬戸さんと体ひとつ分の差だったらイケるというのはあったけど、前半の200mを折り返した時点で思ったより近かったので、そこからはもう自分の持ち味を生かして仕掛けていきました」

 その時点では全体6番手だった松下。次の平泳ぎを1分10秒43のラップで泳ぐと、300m通過は2位に浮上したフォスターと0秒86差の4位に順位を上げた。そのまま、最後の自由形では57秒06をマークし、フォスターらを逆転して2位でフィニッシュ。平井コーチの読みどおりの展開のなか、2位以下の激戦を競り勝った。

「200m以降もほかの選手のラップタイムはもう頭のなかに入っていたので、どの辺にいるかというのは大体予想できていたし、冷静にいけたのかなと思います。高地合宿に入ってからは、練習でもずっとレースプランを意識してやっていたし、ストロークのテンポやラップタイムはしっかり体のなかに浸み込ませるくらいやっていたので、不安なく泳げたのかなと思います」(松下)

「(決勝に向けて、最初の種目の)バタフライの呼吸が早かったことと、(3種目の)平泳ぎでヒジがちょっと伸びていないのを注意しました。彼の場合は後半の平泳ぎと自由形の200mを2分7秒で泳げるくらいの練習はしてきている。決勝でも無理をしないで予選と変らないタイムか2分0秒台で泳げば、トータル2分8秒台前半はいくと計算でき、(メダルを)ターゲットにすることができる。問題なのは、きちんと力を出せるかどうかだった。そこはすごく冷静に泳いでくれたと思います」(平井コーチ)

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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