【マラソン】初出場した箱根駅伝、沿道からの「遅いぞ!」というヤジに、浦野雄平は「こんなことを言われるのか...」 (2ページ目)
【二度とこういう経験はしたくない】
1年時、浦野は土方とともに箱根駅伝に出場。中学生の時に両親とかわした約束を見事に果たした。だが、結果は山下りの6区で区間17位。不甲斐ない走りに悔しさを噛み締めた。
「1年目は"走るだけで終わった"感じです。自分の結果にも、それ以前にそもそも6区起用にも納得できていなかったです。今となっては、前田監督の信頼が平地で使うほどではなかったから山の6区に置かれたと理解できますが、当時は監督に『下りは得意じゃない』と言っていましたし、僕はチーム内で10000mのタイムが4番目くらいだったのに、それでも信用されないのかと、(箱根前に)小さな反抗期を迎えていました(苦笑)」
そんななか初めて走った箱根の景色は、どのように映ったのだろうか。
「もっとキラキラした世界を想像していたのですが、リアルの箱根は全然違いましたね。沿道からの応援がすごいのかと思っていたら、大きな声で『遅いぞ!』などとヤジを飛ばされ、『うわっ......マジか。こんなことを言われるのか......』と。その時、次はそういう人たちから『頑張れ、浦野!』と応援する声をかけてもらえるように走ろう、二度とこういう経験はしたくないという気持ちになりました。それが大学2年目以降の自分の成長につながった。ターニングポイントですね」
浦野はそこから順調にチームのエースに成長していく。それまで先輩たちに頼っていた部分をあらため、練習やレースでもフロントラン(集団の前方を走ること)を心がけた。そうした姿勢や取り組みが前田監督に評価され、2年時の箱根は1区を走ることになる。
「当初、監督には2区を走るように言われていたんです。でも、11月中旬にアキレス腱を痛めて十分に練習ができておらず、エース区間となる2区を走ることに自信が持てなかった。だから、『スタートの1区で流れをつくります』と希望を伝えました」
その1区で区間2位の好走。心ない声が飛んだ1年前とは打って変わって、沿道の観衆は大学名ではもちろん、浦野の名前も呼んで応援した。
「箱根という大きな大会で、他大学のエースと同等に戦えて、しかも結果を出せたので、大きな自信になりました」
迎えた3年時の箱根は、5区を走って区間新記録を樹立し、区間賞を獲得。チーム順位も6位から3位に押し上げるなど鮮烈な印象を残した。だが、浦野自身は当初、5区を走ることをまったく想像していなかったという。
「2年時に2区を断ってしまったので、3年時はなんとしても2区を走る覚悟でした。監督にも箱根が終わった直後にそう伝えていました。それなのに、3年になって、監督から『5区を頼む』と言われて、最初は冗談だと思っていたんです(笑)。
でも、シーズンに入っても一向に山の選手を育てる気配がない。箱根が近づくにつれ、本当に自分が走らないといけないのかなとザワザワとした気持ちでした。それでも2区を走りたかったので、監督には『2区の準備をしています』と言い続けていたのですが......。ただ、最終的に5区に決まってからは、チームのためになるのであれば自分が走ろうと気持ちを切り替えました」
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