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【箱根駅伝 名ランナー列伝】駒野亮太(早稲田大) 「山の神」の記録に迫る快走で12年ぶりの往路優勝に貢献した2000年代後半の「早大クライマー」

  • 酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

2008年、右拳を胸に当てて往路優勝のゴールに向かう早大・駒野亮太 photo by アフロスポーツ2008年、右拳を胸に当てて往路優勝のゴールに向かう早大・駒野亮太 photo by アフロスポーツ

箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載16:駒野亮太(早稲田大/2005、07〜08年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第16回は、2008年に早大の山上りとしてチームの12年ぶりの往路優勝に貢献した駒野亮太を紹介する。

連載・箱根駅伝名ランナー列伝リスト

【1年時の失敗を糧にした3・4年時】

 順天堂大・今井正人、東洋大・柏原竜二、青山学院大・神野大地。「山の神」と呼ばれた選手以外に箱根駅伝の最長5区で"神クラス"のインパクトを残した選手がいる。2008年(第84回大会)に名門・早大に12年ぶりの往路Vをもたらした駒野亮太だ。

 早稲田実高時代は3000m障害で活躍し、3年時はインターハイで4位に入っている。当時から「上り」が得意で、「箱根駅伝の5区で活躍できるかもしれない」という予感はあったという。しかし、すぐに適応できたわけではなかった。

 箱根駅伝は1年時(2005年)に5区を任されるも区間12位。11位から15位まで順位を落としている。

「沿道の人が多いのにビックリしました。あれだけの声援のなかを走るのは初めてだったので、自分を見失いましたね。ペースもわからなくなってしまって、落ちついて走れなかったんです......」

 レース後は、「もう走りたくない」という気持ちになったという。しかも、翌年(2006年)から5区が23.4kmの最長区間となり、駒野は戸惑っていた。

「20.9kmでも最後までしっかり走りきれなかったので、距離が伸びて、正直嫌だなと思いました。2年時は故障もあって出場できませんでしたが、実力もなかったので、僕を5区に起用するのは不安があったと思います」

 箱根駅伝のあと、「一生懸命トレーニングをした」こともあり、3年時は関東インカレの3000m障害で4位と大躍進。箱根駅伝は5区を1時間21分55秒の区間8位でまとめて、チームは総合6位に入った。

 この年、優勝したのが順大だ。5区の今井が1時間18分05秒の区間新記録を樹立。山の神でトップに立つと、復路も快走して、6年ぶりの栄冠に輝いた。

 駒野は今井の姿を自分に重ねていたのかもしれない。主将として迎えたラストイヤーは1年間、箱根の山をイメージしてきたという。

「3年時は故障もあって思うような状態でスタートラインに立つことができなかったので、渡辺康幸駅伝監督と『5区で区間賞を取ろう』という計画を立てていたんです。1年間、ずっと箱根の山を意識して取り組みました」

 駒野は、「走力をつける」だけでなく、「自分のリズム」と苦しくなってからの「粘り」をポイントに置いて、トラックレースに臨んだ。そして関東インカレは3000m障害で優勝した。

 全日本大学駅伝は4区で区間4位。チームは4年ぶりに出場して、過去9年間で最上位となる5位に入った。その後はレースに出場せず、「5区」に集中。チームのメニューにプラスするなど「距離を踏むこと」を意識したという。

「16000mのペース走は20000m走に、1000m×10本は5000m×3本にしました。スピードで押していくよりは、1km3分00秒前後でカバーできる身体を作ろうと思っていたんです」

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著者プロフィール

  • 酒井政人

    酒井政人 (さかい・まさと)

    1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。

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