【マラソン】ロス五輪のMGCに向けて新たな取り組みに挑戦中の浦野雄平「高速化から目を背けるわけにはいかない」 (2ページ目)
【力の差を感じた前回のMGC】
初マラソンでMGCの出場権を手に入れることができた。翌2023年10月のMGCで勝つために、これから練習をどう組み立てて本番を迎えようか、そう思案している最中に、恥骨の疲労骨折が判明した。
「これはひどかったです。歩くのも、寝るのも、座るのも、すべて痛いんです。動くと痛いので外出するのも難しい。部屋でおとなしくして、テレビとかYouTubeを観ていました。ここまで長い期間、何もできないのは初めての経験で、新しい取り組みどころか、走ることも考えられないくらいでした」
浦野は「他人に心配をかけたくない」という性分。また、弱音を吐きたくないという競技者としてのプライドもあった。両親や友人に相談したり、愚痴をこぼしたりすることなく、ひとりで耐える時間を過ごした。ただ、そういう時にも自暴自棄にならず、すぐに本格復帰できるように体重管理は怠らなかった。
復帰は故障した年の12月、エディオンディスタンスチャレンジの5000mだった。いきなり13分29秒37の自己ベストをマークし、周囲を驚かせた。
「復帰レースでしたし、そんなに練習していないのに、こんなに走れるんだって思いました。周りのみんなもビックリしていましたね(笑)。ただ、記録は出たんですけど、故障する前と比べても何かが違う。走っていても手応えをあまり感じられない。その後、MGCに向けても練習を積める期間と、うまくこなせない期間があるなど、パフォーマンスの起伏があったんです。そういう不安を抱えながらMGCを迎えました」
前回2019年のMGCは、スタート直後から設楽悠太(当時Honda、現西鉄)が飛び出し、レースがいきなり動いた。浦野は今回もそういうことがあり得るだろうと頭に入れておいた。レース当日の天気は雨。周囲の選手たちからの「川内(優輝)さん(あいおいニッセイ同和損保)、行くんじゃない」という声が耳に入ってくる。浦野自身にもそんな予感があった。
「そうしたら、いきなり出ていきましたね。大きな驚きはなく、第2集団で行けばいいと冷静でいられました。でも、練習不足のせいか、30km過ぎからキツくなり始めて、32km付近で川内さんを追う集団についていけなくなりました。後半にアップダウンのある(上りに強い)自分に分があるコースで、勝負に加わりたかったのですが、力の差を感じました」
MGCは10位、さらにMGCファイナルチャレンジの対象レースのひとつである2024年3月の東京マラソンでも、設定タイムおよび順位をクリアできず(2時間8分21秒で17位、日本人6位)、パリ五輪への挑戦は終わった。ケガも含めて実力とはいえ、悔しさは残った。
「次こそはという気持ちがいっそう強くなりました」
2 / 3


