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日本男子マラソン黄金時代を牽引した瀬古利彦の後悔「五輪のメダルは欲しかった。あとの祭りですけどね」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【マラソンは楽しいことなんてひとつもない】

 夏の東京は暑いので北海道に行った。トレーナーとふたりで行ったが、ケガ明けでほとんど走れない日々が続いた

「この頃は、苦しかったですね。走れないので特にすることもなく、精神的にも苦しくて毎日、ふとんで泣いていました」

 再び走り始め、1カ月程度で仕上げてソウル五輪に向かった。

「メダルにはとても及ばない。勝負なんてとても無理。2時間20分くらいで完走はできるだろうという状態でした。でも、日本のファンの人はそんなこと知らないわけじゃないですか。瀬古なら勝てると思われていたと思うんですけど、私は勝手に中山君にまかせたと思っていました」

 レースは、タンザニアのジュマ・イカンガ-が前に出て引っ張る形で展開。30km手前からイタリアのジェリンド・ボルディンが前に出て、中山と瀬古も先頭集団についていった。だが、そこから徐々に瀬古が遅れはじめた。中山が4位でゴールし、瀬古は9位、最後は両手を上げてゴールラインを切った。

「ゴールした時、両手を上げたのは、ソウルが最後と決めていたので、もうこれでマラソンをやらなくてもいい。マラソンは終わりだと思ったからです。マラソンは、練習もつらいし、楽しいことなんてひとつもない。それを19歳から31歳まで続けてきたので、もういい。十分やったという表現でした」

 ソウル五輪でのマラソンがマラソン最後のレースになり、そのシーズンに瀬古は現役を引退した。

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