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木付琳、堀尾謙介、鬼塚翔太――箱根駅伝後の苦悩を経て、新たな実業団チーム「MABP」で挑戦を始めた実力者たち (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【実業団4チーム目となる東海大"黄金世代"】

 その堀尾が「ニューイヤー駅伝出場に欠かせない」と言うのが鬼塚翔太(27歳)だ。

 東海大時代、箱根駅伝は4年間で1区を3回走り(2位、6位、4位)、3区を走った2年時も区間3位の成績を収めている。"黄金世代"のひとりとして、2019年の95回大会では1区で流れをつくり、チームの総合初優勝に貢献した。学生トップランナーのひとりだったが、社会人になってからは、DeNA、NTT西日本、メイクスとチームを移籍するなか、目立った成績を残せず、「鬼塚はどうした」という声は多く聞かれた。

「自分は大学時代からアキレス腱痛を持っていて、社会人になってからも治っては痛めての繰り返しで練習が継続できなかった。それで走力も気持ちも落ち込むことが多く、NTT西日本時代はしんどかったですね。陸上をやめようとは思いませんでしたが、走りたくないなっていうのは何度もありました」

 2024年5月にメイクス退社後は、所属のないまま拠点を母校の東海大に移して練習を続けていた。今後どうすべきかを考えている時、東海大の両角速監督から「MABPはどうか?」という話をもらい、神野と話をして加入を決めた。

「MABPに決めた理由は、入社してからも東海大を練習拠点とすることを認めてもらったのが大きいです。僕はこれまで3回チームを替わっているんですけど、落ち着いて練習できる環境が必要でした。大学では学生と一緒に走ることもあり、自分にとってはいい刺激になっています」

 鬼塚は2017年以来、5000m133858)、10000m281752)ともに自己ベストを更新できておらず、まずはそこで止まった針を動かすことから始まる。

5000mはともかく、最近は10000mが走れていないので、トラックシーズンでは10000mで自己ベストを狙いたいですね。来年の冬にはマラソンを走りたいですし、そのためにも10000mの記録が大事になってきますから」

 神野やチームメイトの鬼塚に対する期待は大きい。久しぶりに走る駅伝について鬼塚は、どう考えているのだろうか。

「駅伝は、少し遠ざかっているので、どんな走りができるのかイメージがつきにくいところもあります。ただ、走るなら1区かなと思っています。単独走をこれまであまり経験してきていないですし、集団走でスタートして、最後にいくっていうのが持ち味でもあるので。神野さんからも1区で走ってほしいということも言われました。MABPに来たからには駅伝で貢献しないといけないので、11月3日に走れる準備をしていきたいです」

 東日本実業団駅伝の1区は、昨年でいえば吉田祐也(GMO)らが出走するなど強者が揃う区間だ。そこで、完全復活を証明する走りを見せることがMABPをニューイヤー駅伝に導くことになる。

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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