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木付琳、堀尾謙介、鬼塚翔太――箱根駅伝後の苦悩を経て、新たな実業団チーム「MABP」で挑戦を始めた実力者たち (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【MGC6位の実績を持つメガネランナー】

「東日本実業団駅伝は甘くない。覚悟して臨まないと」

 そう言うのはメガネランナーとして知られる堀尾謙介(28歳)だ。

 中央大時代はエースとして活躍し、箱根駅伝は2年時から3年連続で2区をまかされた。4年時の2019年3月の東京マラソンは2時間1021秒で日本人トップの5位。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)にも2019年、2023年と二度出場して15位、6位と実績は十分。そして昨年4月、MABPと最初に契約した選手になった。神野も「うちのエースになる選手」と期待を寄せている。

 堀尾は大学卒業後、トヨタ自動車、九電工と経て、2024年1月からプロランナー宣言をして中央大を練習拠点にしたが、経済的には厳しい状況だった。

「(2023年の)MGCが6位に終わり、その後、九電工を退社して、ファイナルチャレンジの東京マラソンでパリ五輪を目指しました。その間は収入がなく、しかもケガをして東京も走れなかった。今後、競技を続けるにしても、合宿費用など金銭面のサポートがないと厳しいと思っていたところ、神野さんが新しいチームをつくるというので連絡をしました。僕は今、28歳ですが、あと何年陸上をやれるかわからない。時間を無駄にできないと思い、MABPに加入させてもらいました」

 チームの目標はニューイヤー駅伝出場。長く実業団の世界に身を置いた堀尾の目に、今のMABPはどのくらいの立ち位置に見えているのだろう。

「正直なところ、予選を通るか通らないかギリギリのところにいると思います。全員のレベルアップは不可欠ですし、(箱根駅伝や実業団の経験のある)僕らと(経験の少ない)新卒の選手がしっかり噛み合うことも大事です」

 若い選手に目を配りながら、自身も覚悟を持って駅伝に向き合うつもりだ。

「トヨタにいた時の駅伝は、チームに強い選手がたくさんいたので、自分がダメでも他の人で盛り返せる感じでした。でも、MABPは人数が少なくて、中央大4年時に中山(顕/Honda)と僕がいい走りをしないといけなかった時と似ています。ただ、僕はそういう状況のほうが走れると思っています」

 堀尾は今、故障から回復途中だが、夏までには走れるようにして、11月3日の東日本実業団駅伝にピークをもっていけるように調整していく。同時に個人としての目標も追求していく。

「北京の世界陸上(2027年)、ロス五輪(2028年)にマラソン代表で出場することが大きな目標です。簡単ではないですが、ケガなく準備していけば戦えると思っています」

 陸上キャリアの総決算ともいえるチャレンジがこれから始まることになる。

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