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【レジェンドランナーの記憶】1992年バルセロナ五輪、谷口浩美は転倒している瞬間も「むしろ冷静で、脱げたシューズがどこにあるのかを確認していた」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【「谷口さん、大変なことになっています」】

 競技場では、旭化成の後輩の森下広一が銀メダルを獲得し、中山は4位でゴールしていた。谷口は8位でゴール。男子マラソンに出場した日本人3名全員が入賞という史上初の快挙を達成した。

「ゴールした時は、やっと終わったという感じでした。やっぱり9位じゃダメなので、8位で入賞できてよかったとホッとしました」

 汗にまみれながらインタビュールームに入った谷口は、マイクを向けられると、笑顔でこう答えた。

「途中でこけちゃいました。靴が脱げたんで、それを拾いにいったので。まぁ、これも運ですね。精一杯やりました」

 谷口はこう回想する。

「私が転んだシーンをみんな、映像で見ていないんだろうなって思っていたんです。しかも、前年の世界陸上のチャンピオンが8位かよって思っていたんじゃないかなというのが自分のなかにあったので......。何が起きたのかを伝えないといけない。それで、『転んで8位になっちゃいました』と言い訳したんです」

 数日後に帰国した成田空港では、メダルを獲得した選手はマスコミの取材エリアが設けられた左側の通路に進み、それ以外の選手は右側の通路に進むよう指示された。谷口は右側に進んだが、自分の後ろを大勢のマスコミが追いかけてきた。

「谷口さん、大変なことになっています」

 そう言って記者が見せてくれたスポーツ紙の一面には、「こけちゃいました、谷口」との大見出しとともに谷口の写真がデカデカと掲載されていた。

(文中敬称略)

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谷口浩美(たにぐち・ひろみ)/1960年生まれ、宮崎県南郷町(現日南市)出身。小林高校では全国高校駅伝に3年連続出場し、2、3年時は同校の2連覇に貢献。日本体育大学では2年時から3年連続で箱根駅伝の6区を走り、いずれも区間賞を獲得(3、4年時は区間記録を更新)。旭化成に入社後は主にマラソンで活躍し、1991年の世界陸上東京大会で金メダルを獲得したほか、1992年バルセロナ、1996年アトランタと二度のオリンピックにも出場。1997年に現役を引退すると、実業団や大学での指導を経たのち、2020年3月まで地元の宮崎大学の特別教授を務める。マラソンの自己最高記録は2時間7分40秒(1988年北京国際)。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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