【レジェンドランナーの記憶】1992年バルセロナ五輪、谷口浩美は転倒している瞬間も「むしろ冷静で、脱げたシューズがどこにあるのかを確認していた」
8位入賞にとどまった谷口浩美は、報道陣に苦笑いで「こけちゃいました」と語った photo by Nikkan Sports/AFLO
【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶.1
谷口浩美さん(中編)
日本が誇るレジェンドランナーの記憶をたどる本連載。今回は1992年バルセロナ五輪の「こけちゃいました」で一躍、時の人となった谷口浩美さん。全3回のインタビュー中編は、いよいよバルセロナ五輪のレースを振り返る。日本中が「あっ!」と声を上げた、あの転倒シーンの裏側を聞いた。
【五輪直前、恐怖と重圧で右ひざがガクガクと震えた】
1991年の東京世界陸上で優勝した谷口浩美は、翌1992年バルセロナ五輪のマラソン代表に選出された。バルセロナ五輪で勝つためにレースの台本を書き、練習メニューを構成し、本番に向けての準備を始めた。
だが、その矢先、まさかの事態が起きた。
「右足の中足骨を疲労骨折してしまったんです」
バルセロナのラスト5kmが上り坂なので、その対応をすべく宮崎県延岡市で合宿をしていたが、ある日、練習が終わると右足に違和感を覚えた。検査をすると疲労骨折が判明し、谷口は5月27日から6月27日までの1カ月間、三重県の病院に極秘入院をした。考えていた練習メニューをこなせず、金メダルの台本も崩れた。
「(退院して)本番まで1カ月ちょっとしかなくて、練習が十分できていなかったので不安がすごく大きかったんです。すると、それが体にも出てしまって......。
バルセロナに入る前にロンドンで調整したのですが、最後の練習で5000mを走り、14分40秒ぐらいでいければと考えていました。夕方の練習だったので、お昼ご飯を食べて移動する前にトイレに入ったんです。そうしたら突然、右ひざがガクガクと勝手に動き出して、どうにも止まらない。両手で抑えて用を済ましたんですけど、貧乏ゆすりではなかった。5000mを設定通りに走れるかどうかで五輪の結果が見えてしまうという怖さとプレッシャーによる震えだったんです」
谷口は、前年の東京世界陸上でも日の丸をつけて走ったが、五輪は規模も注目度もまるで違った。故障した自分をサポートしてスタートラインに立たせてくれた人、選考会で競った選手、応援してくれる人、いろいろな人の思いを感じ、また、全国民の期待が自分の背中に乗っかっているような感覚に襲われた。
「いてもたってもいられないほどのすごいプレッシャーを感じていました」
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。