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【レジェンドランナーの記憶】1992年バルセロナ五輪、谷口浩美は転倒している瞬間も「むしろ冷静で、脱げたシューズがどこにあるのかを確認していた」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【後続の選手のつま先が谷口のかかとに......】

 ところが、その給水でアクシデントに巻き込まれてしまう。21km地点から中山竹通がスピードを上げ、レースが動くと感じた谷口は、本格的に勝負が始まる前の22.5km地点の給水を取ることにした。そして、右手でボトルをつかみ、加速しようと左足を着地させた瞬間、後ろを走っていた選手のつま先が谷口のかかとに引っかかり、シューズが脱げた。スピードが落ち、後続の選手に「危ない」と押されて転倒した。

「前に押されて転倒した瞬間は、何が起きたのかわからないという感じではなかったです。むしろ冷静で、どうやったらケガをしないかを考えていました。左肩を巻き込んで横に倒れれば顔を地面にぶつけず、ケガもしないだろうと。

 同時に、シューズを履き直して走るのか、脱げたまま走るのかも判断しないといけない。路面が硬いし、後半に石畳があるから裸足だとつらいから履き直そうと決め、倒れ込んでいる間にもシューズが給水テーブルの下にあることを確認し、すぐに起き上がって取りに行き、何事もなかったように走り出しました」

 谷口は靴下を履いておらず、シューズの靴べろを引っ張るとスポっと足が入り、そのまま前を追った。この時、谷口は給水ボトルを握っていた。シューズを履き直して、なぜ給水ボトルを手にして走り始めたのか。まったく記憶がなかった。

「無意識にボトルをつかんでいるんです。それはたぶん、給水のボトルを取ることが日々の練習のなかで自分の脳というか体にすりこまれていたからでしょう」

 転倒し、シューズを履き直してスタートするまで30秒ほど経過していた。

「前との距離をいかに詰めていくか。ジワリジワリいくのか、一気にいくべきか。自分の経験からジワリジワリといく方を選択し、30km16番目に通過したんです。入賞は10位までだから、あと6人抜けばいいと思い、少し気が楽になりました」

 当時のマラソンは、現在のように8位までが入賞扱いではなく、10位まで入賞ということが多かった。だが、バルセロナ五輪の入賞は8位まで。それをすっかり失念していた谷口は、35km地点で12位に上ると、「あと2人追い越せば入賞だ」とテンションが上がった。しかし、ふと気がついた。

 「あっ、(今回は)8位(までが)入賞だって突然気がついて。それからは、あと4人、あと4人って心の中で言い続け、前だけを見て走り続けました。そうして、競技場になんとか8位で戻ってこられたのです」

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