早大サークルからトップステージへ 異色の23歳・小林香菜が大阪国際女子マラソンで切り開いた世界への道 (3ページ目)
【名コーチが小林への指導を決めた理由】
そんな小林の長所は、ケガをしにくい走法とともに、体や気持ちの強さがあるところだ。クイーンズ駅伝の1週間前には転倒して膝を2針縫うケガをして出場も危ぶまれたが、しっかり走った。さらにその1週間後の防府読売マラソンも「行きます」と志願の出場。大阪へ向けた練習代わりの40km走のつもりだったが、自己記録を5分弱更新する走りで優勝した。
「(中高時代の)成長期に専門的なトレーニングをやっていないし、いまはしっかり食べて体も作れている。それが体の強さの要因かもしれない」と河野監督は言う。
「8月の終わりくらいには、12月に高地トレーニングをやって大阪を走ろうと決めていたが、正直、防府の記録は、私が『このくらいのタイムを出せば、実業団に来て取り組んだ甲斐もある』と思っていた記録だったので驚きました。
アルバカーキ(アメリカ)の合宿では第2集団でいって2時間22分を設定した練習をやらせましたが、もう一段上の練習もでき始めていました。それで帰国後、中2日の都道府県駅伝10kmを走らせたら、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)と田中希実(New Balance)の間の区間5位になったので、最初から2時間20分を切る先頭集団のペースでどこまでいけるか試して見ようと思いました」
アルバカーキでは、前田穂南(天満屋)が1年前の大阪国際女子マラソンで日本記録(2時間18分59秒)を出した時に実践していた30kmの変化走の練習などを参考に、プラス2分くらいの強度でやらせると、小林はそれをこなせてしまったという。
「2時間18分59秒に2分プラスすると2時間20分59秒。『まさかなぁ』というくらいの感じでした。イーブンペースで2時間22分を出せるのは彼女の強みだけど、前半攻めて(2時間)24分かかったら『まだ後半だね』となるし、(2時間)22分だったら『攻めても22分だからすごいね』となると思っていたけど、(2時間)21分19秒だからビックリした」と、急激な成長曲線に驚くとともに、小林の強みと可能性をこう話す。
「彼女のピッチの速さは体幹を軸にして交互に持ってくるのが上手だからです。ほかの人が真似てできるものではない。単純に言えば、1分間で220歩くらいはゆうに超えるピッチ数なので、ストライドをもう少し伸ばせば2時間20分という数字にも届く。まだ速い走りの練習は数カ月しかしていませんが、9カ月でここまで成長したから、走りはまだまだ変わってくるはず。
厚底シューズ内のプレートの反発の恩恵は地面を踏む回数が多いほうが大きいはずなので、それを扱えるような動きになればもっとスピードは上がっていくのではないか。選手によってはそういうチャレンジをしてもいいと思うし、小林も高速ピッチを継続できるようにしてそれをコントロールできる体の強さを備えれば、まだまだ成長できるんじゃないかなとは思います」
これまでにはいないタイプで、まだまだ未知数の部分も多い小林。これまで多くの日本代表を育て上げた河野監督だが、小林を指導しようと思った一番の理由について「気持ち」の部分を挙げる。
「マラソンをやりたい、陸上をやりたいという気持ちの強さと自ら申し込んできた姿勢です。有森裕子さんや高橋尚子さんがそうだったように、『やりたい』という気持ちの子は絶対に頑張る。
早大の法学部を出た子に『陸上に何年間か懸けてみたい』と言われたら、陸上に関わる人間としては、ちょっとでも夢を叶えるための手伝いをしてあげられたらいいんじゃないのかなと思ったからです」
日本陸連の長距離・マラソン強化に長く関わってきた師と異色な弟子の二人三脚が、どんな新世界を見せてくれるか、楽しみにしたい。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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