「5分50秒に届かない練習だった...」東京マラソンでパリ行きを逃した西山雄介ら有力選手3人 彼らの走りに何が足りなかったのか (3ページ目)
パリ五輪に賭けてきたものがいかに大きかったのか、その悔し涙がすべてを物語っていた。30歳だが、「やめる気はない」と語っており、次は東京で34年ぶりに開催される世界陸上が待っている。この経験を活かすには、最高の舞台になるだろう。
山下は、あまりにも早い8.6キロでの失速だった。
「もう、お尻から左足のもも裏、ほぼ左足全部に力が入らなくて、2分57秒のペースにはついていけるような状態ではなかったです」
山下は、神妙な顔つきで、そう言った。
MGCの時は直前に足を痛めて、満足できる走りができなかった。今回は、昨年11月にハムストリングを痛め、膝痛も出たが、最後の1、2週間でなんとなくまとまってきた。だが、痛みや違和感を完全に取りきれたわけではなかった。
「良くなっていたし、行けるかなと思ったんですけど、完全に取りきれなくて不安な部分が最初から出てしまって......。監督には、練習が出来ていなかったので、『後半、離れてもしっかりとリズムを作って、最後までやりきって、次に繋げられるマラソンをしよう』と言われました。でも、もう足が動かなくて、話にならない感じでした。悔しいというのもおこがましいぐらい情けない走りをしてしまいました」
山下は、そうレースを振り返ったが、9キロ手前での失速は、完走するまで33キロも残っていた。もはや勝負ができず、左足に踏ん張りがきかない状態であれば、その時点でダメージを最小限にするために棄権という選択肢もあったはずだ。
「いや、もうあまりにも沿道からの応援がすごくて、ここで中途半端にやめようとは思わなかったです」
山下はパリ五輪の出場権獲得が絶望になったなかでも、多くの人が声をかけてくれたことがうれしかったという。その熱量は、箱根駅伝の2区を走った時と同じぐらいだった。最後まで、沿道の声に背中を押されて走ったレースは、2時間17分26秒の46位に終わった。これでブダペスト世界陸上、MGC、そしてMGCファイナルチャレンジとつづいたビッグレースの戦いがようやく一段落ついたことになる。
「ここまで長かったですね。さすがに、ちょっと疲れました(苦笑)。でも、まあ自分はここで終わりではないので......。いったん休んで次、東京の世界陸上に向けて、今度はしっかり勝って代表になりたいです」
まだ26歳、次のロス五輪も狙える。故障なく、万全の状態で走ることができれば鈴木健吾の持つ日本記録2時間04分56秒を越えるのは、山下ではないだろうか。それほどのポンテシャルを持つ男の挑戦は、まだこれからもつづいていく。
彼ら3人以外にも福岡国際の巻き返しを狙った細谷は2時間6分55秒で12位、2年ぶりにマラソンを走り、33キロ周辺で一度日本人トップに立った浦野は2時間8分21秒で17位、そして最も期待値が高かった鈴木は「力がなかった」と2時間11分19秒で28位に終わり、一山麻緒(資生堂)との夫婦そろっての五輪出場は叶わなかった。
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。
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