箱根駅伝2位と中央大・藤原監督の秘策がズバリ。3年前からは育成方針を転換「これが令和の指導法」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by スポニチ/アフロ

 レースは狙いどおりに進行していく。2区ではエース吉居大和が突っ込んで入り、粘り、最後は近藤幸太郎(青学大4年)の引っ張りにも助けられて区間賞。トップで襷を3区の中野に渡した。中野も区間賞の走りで首位をキープ、4区吉居駿恭(1年)で3位に落ちたが5区の阿部陽樹(2年)が区間3位と好走し、往路は2位で終えた。首位の駒澤大とは、30秒差だった。

「中野は後半にあと10、20秒稼げればよかったですし、駿恭はピークをきちんと作ってあげていれば区間賞の可能性があったと思います。出雲も全日本もエース区間を走り、ピークを過ぎていたので、耐える走りになるだろうなというところがあったんですが、よく頑張ってくれた。5区までほぼ予定したレース展開ができたのに優勝できなかったのは、指導者の差だと思っています」

 藤原監督は悔しそうな表情を浮かべたが、それでもトップとの差を30秒以内と想定していたことを考えれば、往路では理想どおりの駅伝を展開したと言える。

 復路区間は、ずらりと3、4年生を並べた。「ひとりで上位を走れるという狙いを持った配置」と藤原監督が言うとおり、単独になってもマイペースで自分の走りに徹することができるメンタルを持った選手を置いたが、ここでの安定した走りが最終順位につながった。全10区間、駒澤大同様に大きなブレーキ区間がなく、往路復路ともに藤原監督の読みと狙いがマッチングし、総合2位はまさかではなく、必然であったと言えよう。

 優勝にあと一歩足りなかったが、2022年大会を思い出してみれば、中央大は10年ぶりにシード権を確保したばかり。それが翌年の今回は、2位だ。往路優勝を逃した際、「指導者の差」と自身は語っていたが、この成長度こそ指導の賜物でしかない。

【「寄り添う指導」に転換】

 藤原監督は、今回の箱根駅伝まで7年間、中央大を指導してきたが、5年目に監督自身の指導の変化と、選手の意識の変化という大きな転換期を迎えている。

「監督になった当初は、選手に、スリッパを揃える、目の前のゴミを拾うとか、とにかく生活面で何もできていなかったんです。まずは時間を守る、掃除をする、挨拶をすることを徹底して、寮やグラウンドを掃除するなど、かなり細かいことまで全部指導していました」

 5年目、細かい指導や怒ることをやめた。学生の話を聞いて反論して抑え込むのではなく、寄り添う指導をすべきだという妻の助言が大きかったが、自分が言い続けてきたことが選手に根づき、選手自身でチームを回せるようにしていかないとチームが発展しないと思ったからだ。そのために聞き役に回り、選手がやりたいことを支え、軌道修正する時にアドバイスをすることにした。

「選手の成長を見守る。これが令和の時代の指導なのかなと思いますね」

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