東大理三に現役合格のちインカレ優勝の内山咲良。「誰もやったことがないことをしてみせたい」と励んだ文武両道 (5ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Kyodo News

ーーそうなるとスケジュールは塾でびっしりですよね。部活が終わってからの塾は、体力的に大変ではなかったですか?

内山 すごく大変でしたね。スケジュールをけっこう考えながら組んでいました。高校の時、部活は5時40分までで、それなりに練習時間を取れたんですけど、2年の冬は確か5時50分過ぎの電車に乗らないと塾に間に合わなくて。そうすると、練習でサーキットトレーニングや筋トレをガンガンやって、もう休む暇もなく、Tシャツだけ着替えて塾に行くみたいな日々でした。

【不器用で負けず嫌いな人間】

ーー部活にのめり込んでいても受験への情熱は揺らぎそうにないですね。その反面、陸上を続けることへの両親や周囲の反対はなかったのでしょうか?

内山
 その頃、両親はスポーツに対して特別な思いはなかったように思います。父は柔道やバスケをしていたらしいんですけど、母は別にスポーツが好きでも何でもなくて。私自身も陸上を始めた時に、こういうふうに続けるとは思っていなかったです。なので、高校で陸上をしている時は、母から「別に全国大会で優勝するわけじゃないんだからほどほどでやめてもいいんじゃないの」って言われたりしたことはありましたね。それでも陸上が自分のなかですごく大事になっていくにつれて、両親もだんだん理解を示してくれるようになっていったところはあります。

ーー話をうかがっていて、頑張り方がすごいと感じます。その原動力はどこからきているのでしょうか? 小さい頃は、どんな子どもでしたか?

内山
 小学校の時は、負けず嫌いという言葉が一番しっくりくるかなと思います。わりと不器用なところがあって、最初からはあんまりできないというか。できないことがいっぱいあるほうでした。それが悔しくって、できるようになりたいと思って頑張っていました。

 塾に通い始めてからは、テストの点が悪かったらすごく悔しくて頑張りました。でも、頑張ってある程度いいところまでいけても、一番を取れない。なので、自分はきっとそういう人間なんだなって思うようになっていきました。

 一番を取れるような人間じゃない、才能ある人には勝てないかもしれない、けれど努力でいけるところまでは到達できるかもしれないと、小学5年、6年くらいで考えていましたね。

5 / 7

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る