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東大理三に現役合格のちインカレ優勝の内山咲良。「誰もやったことがないことをしてみせたい」と励んだ文武両道 (3ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Kyodo News

【高校時代は「スポ根」部活から塾へ直行】

ーーさかのぼって中学・高校生の頃の陸上に対する気持ちはいかがでしたか?

内山 中学で部活として始めた時は、陸上は今のように大事ではなかったんです。けれど、中学3年時に都大会で思いがけず初入賞できて、もうちょっといけるかもしれないと思って、高校でも続けよう、と。

ーー中学ではどのような環境で練習をしていましたか?

内山 中学は部活にものすごく力を入れているところではなかったんです。たとえば、冬は午後3時半くらいから活動を始めますが、校門が閉まる4時40分には帰らないといけない。追い出されてしまう感じなので、あんまり学校で練習はしていませんでした。放課後は中学1年の時から通っていた英語の塾や、中学2年からは数学のために鉄緑会(東大受験指導専門塾)に行っていました。

ーー高校時代はいかがですか?

内山 高校に入ってからは、週4日しか練習はなかったんですけど、辛い練習をいっぱいやったと思っています。部員が少なかったので、競技特性を考えてっていうよりは、400mを専門とする短長距離の人でも駅伝を走ったし、600m・400m・200m・100mのインターバル走をしたり、いっぱい走れば速くなれるといった考え方でした。「スポ根」ぽい感じでしたね。

ーー顧問の先生が指導を行なっていたのですか?

内山 はい。筑波大で7種競技をされ、日本選手権でも勝っている体育の先生がいらして。ただ、練習内容は自分たちで考えていたんですよね。短長距離を走る人がいっぱいいたので、メニューも過酷なインターバル系になっていったという......。

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