実業団駅伝の監督が語る仕事と競技の両立。ユーチューバーになったわけ

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い

コモディイイダ(1)

「うちは仕事と競技の両立がモットーです」

 そう語るのは、会沢陽之介監督だ。2014年にコモディイイダ駅伝部の監督に就任し、7年目を迎える。

 コモディイイダは、東京都、千葉県、埼玉県、茨城県で小売業、いわゆるスーパーマーケットを展開している企業だ。陸上部は1973年に飯田百貨店陸上部としてスタートし、2009年にコモディイイダ陸上競技部に改名。2014年にニューイヤー駅伝出場を目指すチームとして駅伝部が発足した。そして昨年、創業100周年の記念のシーズンに初めてニューイヤー駅伝に出場した。

今年1月、創業100周年で初めてニューイヤー駅伝に出場したコモディイイダ今年1月、創業100周年で初めてニューイヤー駅伝に出場したコモディイイダ 会沢監督がいう「両立」は実業団の世界では当たり前のこととしてとらえられるが、コモディイイダにとってはその環境を整えるまで少し時間を要した。会沢監督の就任当初は、選手にとってハードな環境だったという。

「2014年に監督になった時は、残業もバリバリで夜10時から練習というのがざらにありありましたね」

 会沢監督はそう苦笑するが、当時は陸上部員とはいえ、特別な待遇ではなかった。15年には陸上部員の残業をなるべくなくすということになったが、9時から6時まで働いたあとの練習でニューイヤーに出場できるほど駅伝は甘くない。社内からの「いつニューイヤーに出場できるのか」という声に、会沢監督は素直に現状を告白した。

「今のままじゃ無理です。仕事もあるし、現状のままだとまず選手がうちに来ない」

 2016年、指揮官の切実な声に会社が応え、週5日勤務のうち2日を5時間勤務とし、選手の練習時間をつくってくれた。だが、店舗勤務には早番、中番、遅番があり、それは各店舗が決めることになっていた。そのため、会沢監督のハンドリングが及ばず、選手を一同に集めて強化練習をすることがなかなかできなかった。

 2019年は創業100周年を迎え、ニューイヤー駅伝に出るのは至上命令だった。会沢監督は「陸上にもっと力を入れてほしい」と社を挙げてのバックアップを要請した。

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