【月報・青学陸上部】箱根を走れなかった男たち、それぞれの想い (5ページ目)
「今回、下田を担当しましたけど、箱根を走れるメンバーに入った中でのサポートだったので、自分の代わりに走る選手に頑張ってほしいという気持ちでサポートすることができました。もちろん走りたかったですし、悔しい気持ちもありました。だから、来年は絶対に箱根を走りたいと今まで以上に強く思いましたし、そう思えたのは1年間頑張って、青学のレギュラー争いができるところまで成長できたからだと思います」
下田を送り出した後、フラフラになってゴールした田村和に付き添って病院に行った。田村でなければ止まっていただろう。襷をつなぐために最後まであきらめずに走り抜いた田村の気持ちに熱いものを感じた。
「そういう気持ちで僕も来年、箱根を走りたいです」
走る経験はできなかったが、走った選手の気持ちを感じることはできた。苦しい時こそ粘って、粘って走り切る。それを改めて感じられたことは、走れなかった箱根で得た最高のギフトだった。
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中村祐紀(3年)は、寮でのミーティングで区間エントリーが発表になった時、声を失った。
2016年の箱根で、青学は10区間中6名の選手が区間賞を獲得する快走を見せた。そのなかで9区を走った中村祐は区間7位に終わった。チームは箱根2連覇を達成したが、個人的には歯がゆい結果に終わり、今年こそ9区でリベンジを果たす気持ちで、春先から練習に取り組んできた。
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