【月報・青学陸上部】箱根を走れなかった男たち、それぞれの想い (8ページ目)
「5年目のシーズンを始める時から6区は小野田が走るだろうというのは覚悟していました。それでも続けたのは、陸上人生最後なので自分にけじめをつけ、やり切って終わりにしたかったからです。昨年は病気になってから、箱根まで悔しくて泣いてばかりいた。今年は直前の2週間を笑顔で過ごせた。アスリートとして悔しさがあまりないのはどうかなって思いますけど、優勝もしたし、本当にやり切ることができました」
5年生ゆえに各世代との関わり方も自分なりに考えた。最上級生よりも下級生を盛り上げることに徹した。その姿勢は箱根駅伝の記者会見で一番笑いを取ったスピーチにも表れていた。村井は走れなかったが、チームにおける自分の役割を全うしたのだ。
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箱根を走れなかった6人の悔しさは、走った選手に伝わっていたはずだ。あいつがあれだけ頑張ってきたのだから、あの先輩があれだけやっていたんだから。その思いが力になり、足を前へ前へと進めさせてくれた。6人が果たした役割はサポートだけではなく、快走した選手の一歩になっていたのだ。
6人の選手、そして寮にいた選手たち、彼らに支えられてチームはひとつにまとまり、「史上最強」と言われた昨年のチームをしのぐ3冠を達成、箱根3連覇を成し遂げたのである。
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