【月報・青学陸上部】箱根を走れなかった男たち、それぞれの想い (4ページ目)
移動中、LINEで下田が2位との差を広げているという情報が流れた。ホッとしながら、キャプテンの安藤のゴールを待ち受けるために大手町に向かった。ゴール地点に着いた時、モヤモヤした気持ちはスッキリと晴れていた。そして、安藤の名前を叫んだ。
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吉永竜聖(3年)は、8区に区間エントリーされながらも箱根出走が叶わなかった。
吉永は昨年11月の全日本大学駅伝で駅伝デビューを果たした。期待されて3区を走ったが区間5位と今ひとつの出来で、原監督からは「誤算」と厳しい評価を下された。そのため「追試」となった世田谷ハーフマラソンでは、3位に入る健闘を見せた。箱根駅伝16名のメンバー入りを果たし、「アピールしまくります」と箱根出走に燃えていたのだ。
しかし、12月の富津合宿中、シンスプリント(下腿の内側)の痛みが増した。
「実は世田谷ハーフの時からちょっと足が痛かったんです。でも、僕は当落線上ギリギリの選手なので、練習強度が高くなって痛みが増してきても箱根に出るためにやらないといけなかった。最終的に自分の力が足りない分、無理をして故障してしまいました。悔しい気持ちがありましたけど、完全に自滅でした」
12月には神経痛も出て、箱根を完全にあきらめざるを得なかった。あと少しで走れるところまできたが、最後の一歩が足りず、運もなかった。
箱根本番では8区の下田のサポートについた。箱根のメンバー登録をされた今回のサポートは、昨年と比べると違う風景に見えたという。
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