マイナーゆえの手厚い強化が、荒井広宙の競歩五輪初メダルを生んだ (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

「去年よりも確実に最後まで身体が動いている感覚はありました。途中で森岡さんと谷井さんがいなくなって日本人は僕ひとりになってしまったけれど、去年の世界選手権では谷井さんが3位に入っているので『ただでは終われない』という気持ちでした。カナダの選手に追いつかれた時は去年(の世界選手権で)4番だったというのを思い出して『あっ、ヤバいな』と思ったけど、今回は(日本選手ではなく、)カナダの選手だから負けられないと思って......。何も仕掛けないで終わるのはもったいないなと思ったし、仕掛けてみて最後はダメだったら仕方ないと思ってラスト1kmでいったらちょっと身体が動いたので、そこで勝てるかなと思いました」

 それでも3位をなかなか確信できず、ゴールラインを越えるまでダンフィーが追ってくるかもしれないと怖かったと明るく笑う。

 高校時代はインターハイにも出場できず、大学は福井工大へ進んだが、陸上部の雰囲気に合わずに退部し、鈴木雄介を中学時代に指導した石川県の内田隆幸コーチに師事して卒業後も競技を続けた。内田コーチから「50kmに向いている」と言われ、2008年からナショナルチーム合宿にも参加させてもらった。最初は「専門誌で見ている雲の上の存在だらけ」で周囲と話すこともできず、五輪や世界を意識するよりも、日本選手権で入賞できればいいというぐらいの考えしかなかった。

 やがて合宿で谷井や森岡、鈴木などのトップ選手と接しているうちに徐々に意識も高まり、11年世界選手権に初出場して6位の森岡と9位の谷井に次いで10位に入った。そこからコツコツ成長してきてたどり着いたのが、この五輪の銅メダルだった。

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