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足袋からシューズへ。国産「ハリマヤ」が
世界のマラソンを制した (2ページ目)

  • 石井孝●文 text by Takashi Ishii

■五輪、ボストンで快走する金栗足袋■

 国内の運動会で普及した金栗足袋は、オリンピックの舞台でも大きな成果を見せた。1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックのマラソンでは、金栗足袋を履いた日本代表の山田兼松が4位、津田晴一郎が6位に入賞する。


 さらに1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックでは、日本統治時代の朝鮮出身の孫基禎が金栗足袋を履いて金メダルを獲得。銅メダルも同じく金栗足袋を履いた朝鮮出身の南昇龍が手にした。ストックホルムでの初挑戦から24年、ついにハリマヤの金栗足袋が世界を制したのだ。

 辛作は当時の新聞記者の取材に満面の笑みをたたえてこう答えている。

「私は30年どうすればうまく走れるか研究し、(金栗)先生や選手たちの言うままに作ってきたのですが、お陰でマラソンは足袋にかぎるということになりましたね。外国にはこんな指の股のついたのなんかないでしょうな、ハハハ──」

ベルリン五輪の金メダルを喜ぶ黒坂辛作を伝える当時の新聞記事ベルリン五輪の金メダルを喜ぶ黒坂辛作を伝える当時の新聞記事

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