足袋からシューズへ。国産「ハリマヤ」が世界のマラソンを制した (3ページ目)
この後、時代は第二次世界大戦へと突入し1940年(昭和15年)、1944年(昭和19年)のオリンピックは中止となった。戦後初めて開催された1948年(昭和23年)のロンドンオリンピックには、敗戦国の日本は参加が許されなかった。長く国際舞台から遠ざかり、日本マラソン界は大きく遅れをとってしまったかに見えた。
ところが、1951年(昭和26年)のボストンマラソンに出場した広島出身の青年・田中茂樹が2時間27分45秒でまさかの優勝。戦後、GHQの占領統治下にあった日本に歓喜をもたらす快挙となる。驚くことに、田中もまたハリマヤの「金栗足袋」を履いていたのだった。
このとき足先が二股に割れた足袋独特のスタイルが、地元のアメリカ人記者には奇異に見えたらしく「指が2本しかないのか?」「足を見せてみろ」と大騒ぎになった。田中が足袋を脱いでみせると、「なんだ、指が5本あるじゃないか」と、記者たちはホッとした表情になったという。
ボストンで優勝する田中茂樹。他社製とする資料もあるが、実際は金栗足袋だった photo by Kyodo News
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