明治45年、日本初の五輪マラソン選手は
「足袋」を履いて走った

  • 石井孝●文 text by Takashi Ishii

短期連載〜消えたハリマヤシューズを探して(2)

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 埼玉県の老舗足袋屋が、大手スポーツシューズメーカーに対抗してランニングシューズ開発に挑む──。そんな池井戸潤の新刊小説『陸王』が話題となっているが、今から約100年前、ひとりの足袋職人が、まだ黎明期の日本マラソン界において競技用の足袋を開発した実話があった。

 東京・大塚に「ハリマヤ」を開いた足袋職人・黒坂辛作(くろさか しんさく)のもとに、近所の東京高等師範学校(現在の筑波大学)の学生・金栗四三(かなぐり しそう)から寄せられた「もっと履きよくて、長持ちする足袋を工夫してくれんか」との要望。持ち前の脚力と持久力を発揮して、ストックホルムオリンピックのマラソン代表選考会に優勝した金栗は、レースで使う足袋を改良する必要性を感じていたのだ。

ストックホルム五輪で金栗四三が履いた記念すべきマラソン足袋ストックホルム五輪で金栗四三が履いた記念すべきマラソン足袋

まだスポーツシューズという存在などない時代である。辛作と金栗のふたりは研究を重ねた末、厚布を重ね縫いした丈夫な足袋を仕立てる。1912年(明治45年/大正元年)、この特製マラソン足袋を持って、金栗は日本初のオリンピック代表選手としてストックホルムに乗り込んだ......。

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