足袋からシューズへ。国産「ハリマヤ」が世界のマラソンを制した
短期連載〜消えたハリマヤシューズを探して(3)
従業員わずか20名の零細足袋業者が、海外の大手メーカーに対抗して新規事業のランニングシューズ開発にチャレンジするという話題の小説『陸王』(池井戸潤・著)──。今から約100年前、同じような心意気で世界の列強に挑んだ日本の長距離ランナーと、彼を支える足袋職人が実在した。
東京高等師範学校の学生だった金栗四三(かなぐり しそう)は、近所の足袋店「ハリマヤ」の主人・黒坂辛作(くろさか しんさく)に作ってもらった特製マラソン足袋をひっさげて、1912年(明治45年/大正元年)ストックホルムオリンピックのマラソン競技に出場。しかし、調整不足と日射病の影響で金栗は意識朦朧となり、レース中に失踪する大失態を演じてしまう。
捲土重来を誓った金栗は帰国後、辛作と二人三脚でマラソン足袋の改良に着手する。ゴム底の採用などで耐久性を高めた足袋は1919年(大正8年)、ついに金栗の足に履かれて下関〜東京間1200kmを走破し、その存在を天下に知らしめた。そして「金栗足袋」と名づけられた製品は、金栗以外の長距離ランナーにも履かれ、各地の競技会で目覚ましい結果を残していく......。
1936年のベルリン五輪で孫基禎が金メダルを獲得したときの金栗足袋
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