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出場選手が証言。52年前の
東京パラリンピックは何が起きていたのか (5ページ目)

  • text by Sportiva

伊藤 出場したことで、大会以外でも新しい経験をされたんですね。大会自体にはどんな気持ちで臨んでいたんですか?

須崎 出ると決まってからは、恥をかいたらいけん、やらないけんというのはありました。あとに続く人が行けないような、障がい者の人はダメだって言われたくないっていうのはいつも頭の中にありましたね。

伊藤 当時、出場をお母さまは喜んでいらっしゃいましたか?

須崎 喜んでいたと思います。ケガしたときは家で寝たきりになるんじゃないかって心配していましたからね。

伊藤 パラリンピックが終わってからもスポーツは続けていたんですよね?

須崎 はい。中村先生が始めた『太陽の家』ができて、バスケットチームを作るぞってなって、そこに入れてもらって練習に参加していました。

伊藤 もう1回パラリンピックに行こうとは思わなかったんですか?

須崎 いやー、もう。能力がないなって思ったので......。パラリンピック以降は、スポーツは趣味程度で、仕事を一生懸命がんばっていました。
(つづく)

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」(http://challengers.tv/)でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。

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