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出場選手が証言。52年前の
東京パラリンピックは何が起きていたのか (2ページ目)

  • text by Sportiva

伊藤 「パラに行くぞ」という話になったときはどう思われましたか?

須崎 「ええ!」と驚きました。人とスポーツするのは楽しいことでしたけれど、私なんかができるんじゃろうかと。患者のなかでも、私はケガをしてから一番日が浅かったので、動けるのか不安でした。

伊藤 東京への移動は何を使ったんですか?

須崎 大分空港から40、50人乗りのプロペラ機で伊丹まで行って、伊丹でちょっと大きい飛行機に乗り換えて行きました。当時は直通がなかったんだと思います。「富士山じゃー!」って、みんな喜んでました。田舎から出たことないですから。羽田に着いてから、高速道路に乗って選手村に向かったんですけど、そのときも病院のテレビで見たことがある海の下を通る高速道路は、「どんな風にして作ったんじゃろ」って話していたのを覚えています。

伊藤 大会では、複数競技に出場されていますね。

須崎 車いすバスケットと平泳ぎ50m、陸上では100mと、丸い的に向けて投げるやり投げに出場しました。ほかにもあったかな? もう忘れてきていますね。

伊藤 水泳の練習をする施設はあったんですか?

須崎 なかったんです。だから、ほとんど練習なしで本番でした。歩行訓練用の温泉で泳いだだけで、それも1週間に1回くらい。プールに入ったのは数えるほどしかありませんでした。

伊藤 不安でしたよね。

須崎 不安でしたけど、泳ぐことはできていました。ただ、東京に着いてから風邪を引いてしまって。体力がなくなっちゃって、水泳はダメかなって思ったけど、出てみろっていうから出たんですけどね(笑)。

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