パラ陸上・高桑早生が語る「義足と私の正しい関係」 (4ページ目)
伊藤 日本製と海外製では全然違うものですか?
高桑 はい。やっぱり日本製と海外製は反発の仕方が全く違うので、前への進み方とかも全然違うし、なおかつ、私は日本製しか使ったことがなかったので、どうやって使ったらいいのかわかりませんでした。私が買ったものは、海外ではポピュラーなメーカーでしたが、そのなかでも新しい型だったので、何も情報がありませんでした。
伊藤 それでも替える決断は自分でするんですよね。
高桑 最後はそうですね。今回はほんと情報がないっていうのが一番怖かったです。
伊藤 試し履きみたいなことはできたんですか?
高桑 できなかったんですよね。義肢装具士の方にも「ギャンブルだ」って言われました。だけど、『買ってみないと良いか悪いかわからない』って思って買いました。ただ、今年以降はこんな大きな変更はないと思います。
伊藤 それぐらいすごい変更だったんですね。でも、思い切ってやったというのは、やっぱりそれが今の自分に必要だったということですか?
高桑 はい、そうですね。この2、3年は、全くタイムが伸びていなかったんですけど、それが一気に突き抜けて、それで日本記録が出たので、替えて良かったなと思っています。
【プロフィール】
高桑早生(たかくわ さき)・写真左
1992年5月26日生まれ。埼玉県出身。エイベックス所属。小学6年生のときに左足に骨肉腫が見つかり、3度の手術を経て中学1年生で左足ひざ下を切断した。中学校ではソフトテニス部に所属。高校入学と同時に陸上部に入部したが、元々の身体能力を生かし、陸上を始めて1年弱で日本代表に選出された。慶応義塾大学に進学すると、20歳でロンドンパラリンピックに初出場。女子100m、200m(T44クラス)で7位入賞を果たした。2014年には上尾市陸上競技選手権夏季大会で、100m(T44クラス)13秒69の日本記録を出した。
伊藤数子(いとう かずこ)・写真右
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。
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