パラ陸上・高桑早生が語る「義足と私の正しい関係」
陸上・高桑早生インタビュー Vol.2
来年行なわれるリオパラリンピック、さらには2020年の東京パラリンピックの陸上で活躍が期待される高桑早生選手。その高桑選手が義足を着けるようになったのは、中学1年生のときに骨肉腫で右ひざ下を切断してから。中学で入部していたテニス部では、日常用の義足でプレイしていたという。その後、高校で陸上部に入部し、スポーツ義足と出会った。10年の付き合いになる義足は、高桑選手にとってどんな存在なのか。お話をうかがった。(前回記事はこちら)
日常用やスポーツ用の義足について語った高桑早生選手伊藤数子さん(以下、伊藤)高校で陸上部に入ったとき、スポーツ用の義足は持っていましたか?
高桑早生選手(以下、高桑)いいえ、まだ持っていませんでした。スポーツ義足は高校1年生になってすぐに、全国障害者スポーツ大会の予選が地元の熊谷(埼玉)であると知って、せっかく大会に出るなら走れる義足を作ってみようっていう話になったのが最初です。そのとき作ったのは今履いているような大きい板がついているものではなくて、履けなくなった義足の足部にちょっとおもちゃみたいなバネを付けて、簡単に走れるようにしたものでした。それで予選に出たんです。
伊藤 走った感想は?
高桑 案外しっかり走れたという感じでした。で、そこからあれよあれよという間に10月の国体代表に選ばれてしまったんです。その年は、大分国体だったんですけど、せっかく大分まで行って試合するんだったら、ちゃんとした義足を作りましょうということで、埼玉県代表が決まってから慌てて義足を作ってもらいました。
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