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パリ五輪での自転車・太田りゆと陸上・田中佑美の奇跡的な偶然の一致 同日レースで初戦2組目5着、敗者復活戦の妙 (2ページ目)

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――翻って、オリンピックへの出場権獲得についてですが、田中選手は出場枠40名のうち、ワールドランキング39番目で出場権を獲得。太田選手も代表選出の決定まで不安な日々を過ごしたかと思います。選考期間中、一番厳しかった時期はいつ頃ですか。

太田 選考に関して、2023年の世界選手権と、2024年のネーションズカップ2大会を重視すると言われていました。私は世界選手権で日本勢のなかで一番成績がよかったので有利だなと感じていました。ただオリンピック出場が決まりそうという感覚を持つと、前回大会で出場できなかったトラウマが襲ってきて、ビビッてしまいました。それでネーションズカップ第1戦のオーストラリア大会(2024年2月)が絶望的に苦しかったです(ケイリン18位、スプリント17位)。第2戦の香港大会(3月)はまだよかったので(ケイリン9位、スプリント17位)、オーストラリア大会前の1月が一番ドキドキしていました。

田中 私の場合は、標準記録を超えるか、ワールドランキングで40番以内に入るか、どちらかを満たすのが条件でした。記録は目指していたんですが、そこだけにベットするのはリスクが高いなと思ったので、転戦をしてポイントを稼ぐという戦略で積極的に試合に出場していました。例年であれば、1210点くらいポイントを持っていれば、40番以内に入るだろうと見積もっていて、日本選手権の前までに1233点獲得していたんですが、ポイントランキングを確認したら38番くらいだったんです。そういう段階で日本選手権を迎えて......。(出場権を)手に入れたつもりでいたけど、スルッと抜けていくかもしれないというギャップを感じた瞬間が一番きつかったです。

オリンピック初出場だったふたり。ともに出場権獲得までの過程を鮮明に覚えていた photo by Sano Mikiオリンピック初出場だったふたり。ともに出場権獲得までの過程を鮮明に覚えていた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る

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