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桐生祥秀が勝てなかった天才スプリンター日吉克実「桐生がいなかったら僕は違った人生を歩んでいたかもしれない」 (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu

【為末大の記録を更新】

 そして中学3年の時、桐生の存在を知る。

「陸上の月刊誌で全中を特集しているページがあって、そこに100mを10秒8くらい、200mを21秒台で走る桐生という選手がいると載っていました。それまで存在を知らなくて、いきなりタイムが速くなっているようだったので、僕からするとすごく怖いんです。全中でタイムを更新したら、もしかしたら負けるかもしれないと」

 中学1~2年のジュニアオリンピックなどの大会で、同年代で速い選手はほとんど知っていた。しかしそれまで桐生と対戦したことはなく、その走りも未知のものだった。春先にケガをしたこともあって、十分な練習期間が取れず、このままだと敗戦もありえると感じていた。

 とくに意識していたのが200m。「100mは芯をくうタイミングというか、はまることがあって、まぐれでタイムが出ることがあるんですが、200mは距離が長いのでまぐれがなくて、言い訳がきかない」と日吉は言う。200mで勝てば、桐生より速いと証明される。日吉は覚悟して位置についた。

「桐生は自分のひとつ前のコースにいて、桐生を早い段階で抜けたらなと。このレースが中学最後だとわかっていたので、後先考えずに全力で走りました。それでコーナーの出口手前から桐生が視界からいなくなり、ゴールの左前方にあるモニターを見たら、桐生と結構差が開いていたので、これは行けると思い、一心不乱にゴールに突っ込みました」

 結果は前述のとおり。為末大さんの記録を17年ぶりに更新する快挙だった。

 当時の夢はオリンピック出場。「僕はどこまでも伸びていくと思っていて、その行きつく先はオリンピックだろうな」と漠然と思っていた。

【桐生は強すぎて速すぎた】

 しかし高校から桐生には勝てなくなってしまった。同学年には、のちに9秒台を出す小池祐貴もいた。高校1年で臨んだ第66回国民体育大会の100mで、桐生、小池に次いで日吉は3着。

「桐生がすごすぎました。あっさり抜かれてしまって、立場も変わってしまった。本当に並ぶ間もなかったです。桐生がいなかったら、僕は違った人生を歩んでいたかもしれない」

 高校でもトップクラスの成績は残せていたものの、桐生が放つ光が強すぎて、陰に隠れる存在になってしまった。大学でも上位に名を連ねていたが、状況は変わらなかった。そんなころ、「消えた天才」としてテレビで取り上げられた。

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