「心から相撲を愛しています」大横綱・白鵬が語る、自らの土俵人生と今後 (2ページ目)
2012年秋場所後、日馬富士関が第70代横綱に昇進したことで、私のひとり横綱は解消されました。そして、翌年は朝青龍関の優勝回数(25回)を上回って、27回まで伸ばすこともできたのです。
自らの土俵人生を改めて振り返る白鵬(現・間垣親方)この記事に関連する写真を見る 私の夢のひとつに、多くの子どもたちに相撲を広めたいということがあります。2010年から始めた少年相撲大会『白鵬杯』は、2013年2月、3回目にして初めて東京(有明コロシアム)で開催されました。
この時、兄弟で参加してくれたのが、大鵬関の3人のお孫さんたち。来年(2022年)初場所で、このなかのひとり、三男・王鵬が新入幕を果たしますが、次男(納谷)、四男(夢道鵬)も、幕下の土俵で奮闘中です。
第1回大会に出場した選手で、幕内力士として実際に対戦したのが、阿武咲。(団体戦で)優勝して私がメダルをかけた少年と、数年後に対戦して、2020年春場所では押し出しで私が敗れたんです。
悔しいというより、自分の子どもに負けたような感覚でしょうか? このように、"新しい芽"は次々と成長してきています。
引退後は、親方として若い力士を育てたい......というのは、自然に芽生えた気持ちです。
日本相撲協会の親方になるためには、「日本人でなければいけない」という規定があります。外国出身力士の親方は、ハワイ出身の高見山関(元・東関親方)、武蔵丸関(現・武蔵川親方)、モンゴル出身ですと、旭天鵬関がいらっしゃいますが、全員、帰化手続きを取って、日本人になったうえで親方となり、相撲部屋を構えています。
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