「若い衆の頃は地獄でした...」琴欧洲はなぜスピード出世できたのか? (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki

 それで出場したら、6連勝。(最後の)七番相撲の相手は、同期生のモンゴル人力士・星風。前の場所も対戦して私が勝っているんですが、星風は私が足が悪いことを知っているから、わざと悪いほうの足に外掛けをかけてきた。まあ、向こうも必死なのはわかるけれど、優勝インタビューの時、「琴欧州には稽古場で負けたことがない」とか、嘘っぱちのことばかり話すんですよ。

 私が最初に負けたこの相撲は、今でもハッキリ覚えていますし、相撲人生の中で一番悔しかった一番です。

 無理して出て、6勝できたので、翌場所は念願の三段目に上がれました。自転車も買って、雑用もずいぶんはかどるようになりました。

 三段目は2場所で通過して、2003年秋場所(9月場所)では幕下に昇進。幕下という地位は、元十両の力士とか、実力者がたくさんいるところです。さすがに思うように勝たせてはもらえなかったのですが、2004年春場所、私は十両目前、幕下東2枚目まで番付を上げます。

 十両昇進=関取という立場になり、給料がもらえて、付け人が付くということです。

「1日も早く、この環境から抜け出したい」と、必死で稽古に取り組んできた私に、最大のチャンスが訪れたのです。

 一番相撲から、元十両の相手との対戦が組まれ、これに勝った私の二番相撲の相手は、萩原。

 萩原とは、今年1月に引退した稀勢の里の前名なんですが、彼は私より3場所早く2002年春場所、15歳で初土俵を踏んでいるんです。最初に幕下の土俵で当たった時、彼が16歳で私が20歳。体に恵まれていて、力が強くて、「本当にこの人、16歳で相撲未経験なのか?」というくらい強かった。

 萩原には、初顔(合わせ)から2連敗していたのですが、勝負を賭けた場所で負けるわけにはいきません。この相撲を制した私は、波に乗り、なんと全勝優勝。翌場所の十両昇進を決めたのです。萩原も同時に十両昇進となりました。

(つづく)

鳴戸勝紀(なると・かつのり)
元大関・琴欧洲。本名:安藤カロヤン。1983年2月19日生まれ。ブルガリア出身。2mを超える長身と懐の深さを生かした豪快な取り口と、憂いのある眼差しで相撲ファンの人気を集めた。幕の内優勝1回、三賞受賞5回。2014年3月場所限りで引退、年寄・琴欧洲を襲名。同年、日本国籍を取得し、ヨーロッパ出身力士として初めて日本に帰化。2017年、鳴戸部屋を創設し、後進の指導にあたっている。
鳴戸部屋公式サイトはこちら>>

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